17番ホールのティショットを打ち終わったタイガー・ウッズが、
すぐさま右手の拳を握り締めて、ガッツポーズをした。
例えば、大切なパットを決めてのガッツポーズは、よく見かける。でも、
ティショットを打ち終えてのガッツポーズを見たのは、初めてだった。
2000年全米プロゴルフ選手権。
最終日。土壇場で無名のボブ・メイと1打の攻防をしていた。
ウッズは、劣勢だった。
あと2ホール。
その差は、1打差。ウッズは、どうしてもバーディが欲しかった。
並んでおきたかった。
最後の18番ホールでは、お互いにバーディの可能性が高い。17番ホールは、最後の残されたキーホールだ。バーディのとりにくいホールで、とっておきたかった。ティショットは、その鍵を握るものだった。
7月。全英オープンに初優勝し、グランドスラマーとなって1ヶ月。この大会に優勝すると、1953年ベン・ホーガン以来の年間メジャー3勝である。
「全英オープンのあと、僕は、その余韻を十分に楽しんだ。楽しむ反面、自分にはまだメジャーが残っていて、さらにまだシーズンが終わってないということが、脳裏にしっかりと刻まれていた。だけどリラックスして、グランドスラムの栄光を楽しんだことはとても楽しかった。2分?……それよりは長く楽しんだかな」

タイガーは、決して戦闘態勢を休めることなく、この全米プロに乗り込んできた。
普通なら、史上5人目のグランドスラマーになったら、ホッとひと息ついてもいいはずなにの、彼は、むしろ逆にもっと攻めの気持ちが強かった。
「まだ同じメジャーを2回勝っていないから、それができるか今回はそのテストだ。今週はとても長い一週間になると思う。ゴルフコースは非常に難しいし、天候もね。でも僕にとっては家のあるオーランドよりここの方がよほど涼しいからね(笑い)。
グレッグ・ノーマンはゴルフをオリンピックスポーツにしたいと言っていたが、僕は正直言ってそれを第一には考えられない。実際年に4回のメジャーがあって、それは4年に一度の頂点の大会にも匹敵する十分な戦いだと思う。4年も間が開くというのは、冬のオリンピックでも同じことだけど、その間にあまりにも大きなことが変化し過ぎるだろう」
初日、2日目とタイガーは、ジャック・ニクラスと一緒にラウンドした。
ニクラスは、全米オープン、全英オープンと2000年を機に、最後の試合として大会とギャラリーに別れを告げていた。そして、この全米プロの大会からも引退すると表明していた。全米プロゴルフ協会は、そのニクラスにふさわしい組み合わせを仕組んだのであった。
「ジャックは今日のラウンドで、自分が以前にジーン・サラゼンが60歳の時に全米プロで一緒にラウンドしたことを思い出したと言ってたけど、僕にとってもジャックと一緒にプレーできたことは非常に光栄だと思っています。一緒に練習ラウンドはしたことがあったけど、試合で一緒にプレーするのは初めてだからね。だけど彼の心が実際、今日はここに無かったのがよく分かった。昨日起こったことは大変悲しいこと。ひどいスタートだったからね」
その日、ニクラスの母親の訃報が届き、ニクラスはショックを隠し切れないでいた。ニクラスの母親はこの2年、非常に病状がすぐれなかったが、いつもジャックの記録や大会の最中、特にマスターズ、全米オープン、全英、あるいは全米プロのゲーム中に死んでしまうことを心配していた。このことを彼女はジャックにも説明していた。ジャックは今週月曜にここに来る前に母親を訪ね、このことを話し合った。ジャックは、母親が死に対して準備していることを察知したという。そしてジャックはこの母親の願いをくみ取って全米プロにやってきたのである。
「みなさんの多くが知っているよう、私の母は今朝この世を去りました。バーバラと私は幸いなことにこの月曜、PGAに来る前に母と一緒の時間をコロンバスで過ごすことができましたが、我々は彼女を亡くして非常に寂しい思いです。この数年の彼女の最も大きな心配事は、自分がメジャー大会の間に亡くなってしまうことでした。そして母の願いは私にここでプレーをすることです。私はもちろん彼女の最後の願いを裏切るわけにはいきません。だからこの全米プロを最後まで戦うことを決めました」
ニクラスの公式コメント・シートが配られた。
タイガーは、そのニクラスの心境を十分に承知していた。
「大変悲しいことですね。僕から見ても、ジャックは、ひどいスタートでした。何年か前のツアーチャンピオンのとき、僕も同じようにプレーするべきかどうかというシチュエーションになったことがあるんです。あれは96年で、その前の夜、病院で父親につきそっていて2時間ほど椅子で眠っただけでプレーしなければならなかったことがありました。
僕は父にそばにいたい、と言ったんだ。
すると父は「いやダメだ、はやくその腰を上げて行け、そうすればおまえをテレビで観ることができる。少なくとも、おまえがテレビに映るかもしれないと楽しみに待つことができる、とね。その言葉がひとつの理由で僕はプレーしたんです。だけど非常にタフだった。だけど僕はまだ、両親を無くしたことがないから、それに近い状態ではあったけど、それでもまだ両親は失っていない。だから一体ニクラスの憔悴が、どのくらいの思いなのか本当に理解できないのかもしれない。けど、今日ジャックの心がここに無かったのは分かっていたし、そして僕はそれが正しいと思う。仕方ないでしょう」

ニクラスの夢の競演……こんなスポーツ紙の見出しで踊るはずの競演は、ふたりの心情とは、かけ離れたものになってしまっていた。
それでも、ふたりは、何かを感じ取っていた。20世紀最大のプロスポーツ選手が、おそらく21世紀最大のプロスポーツ選手になるであろうタイガーと、言葉は少ないけれど、感じとれるものがたくさんあったに違いない。
「タイガーの集中力は、私がピーク時のプレーを思い出させるものがあった。ミスショットをしたら、自分自身にほんの2秒ほど怒って、その後はまた次のショットをすぐに考え、自分のすべき事をする。そしてパットが素晴らしい。バックに入っているすべてのクラブで集中力をなくすことなくプレーしている。これが、とても僕が彼の好きなところ。それは僕にとっても素晴らしいレッスンとなった。おそらくどのゴルファー、一般のゴルファーもにとってもそうだろう。彼は自分自身と一体となってプレーしている。一緒に練習ラウンドしてからすでに2年も過ぎ、彼のゴルフを分かりもしないで、タイガーに対する質問
に応えるのは大変だった。とくに試合の中での彼を見ること、それは僕がしたかったことでもあるから、今日は非常に楽しんだ」
ニクラスは、憔悴した心の狭間で、タイガーについてしっかりと見極めていた。まるで息子のように見つめるニクラスの眼差しが、印象的だった。

2日目……。
ニクラスが全米プロ最後のプレーをしていた。
ちょうどニクラスが第2打を打ち終わって、3打目のウエッジショットを打つとき、タイガーは、そのニクラスをずっと見つめていた。
「僕がいたところは、何故かパーフェクトなところだった。僕はショットを見ずに彼のスイングを見て、そしてあれは完璧なリズムで素晴らしいショットだった。ボールが落ちるところも見たけれど、僕は入るかも知れない、と思った。僕の位置から見た、あのパノラマの景色は、実に素晴らしく本当にこういうものを見ることができて感謝している。
ジャックと一緒に歩いて行かなかったのは、その感謝でジャックにステージを渡すと共に、そしてその一方、僕のショットはバンカーに入っていて、それを自分自身で怒っていたこともあったからです。僕が今トーナメントリーダーでいることに驚いているかって? それはノー。18番ホールで、あのパットを沈めることは、とても重要だった。17番ホールで3パットした後だったから、今日を良い状態で終わらせるには、あのパットは非常に重要だった。
今年のメジャーでは2日目を終了した時点では10打差などのリードはしていなかったはず。全米オープンでは6打だったかなぁ。全英オープンでは3打だったと思う。
そして今回は、1打? 僕もだんだん年を取って来ているということだよ(笑い)。このコースは、今年のこれまでの3つのメジャーのコースとは比べられない。なぜなら、オーガスタ、ペブル・ビーチ、セント・アンドリュース、これらのコースには歴史がある。
このコースも、もし違った年に行われていたらもちろん違う感想を言えるが、現時点ではこれまでの3つのコースと同じだけの歴史はない。今後このコースが同じ様な歴史を創れることを願っている。
この2日間でジャックと話したことはたくさんあって、いまそれをここで言うことは非常に難しいけれど、今日、18番ホールのティグランドに向かうとき、僕は17番ホールで3パットして、彼は18番ホールで、イーグルを取らなければならなかったから、僕はジャックにこう言ったんだ。
「ジャック、あなたとプレーできてとても光栄で、僕にとってこれは特別な意味のあることでした。そしてとても楽しかった。だからそれにふさわしい終わり方をしましょう」と。
そしてジャックは「分かった。さあ、行こう」と応えて、
そして二人ともバーディを取った。これは素晴らしいことだと思う」
ふたりの光景が、目に浮かぶようだ。

タイガー・ウッズが、はっきりとジャック・ニクラスを意識したのは、タイガーがまだ11歳のときだった。
学校から戻って、午後の時間を全部費やしてタイガーは、あるチャートをつくった。そこには、ニクラスの戦績が書かれていて、それに年齢も付け加えていた。ニクラスの写真とともに、メジャー優勝と年齢がしっかりと書いてあった。さらに、次の欄には「TIGER WOODS」と書き込んだ。
「僕にとってジャックは、ヒーローだったんです。そのヒーローが達成したことを僕がもっと若い年齢で達成したいと思ったんです」
歴史は、受け継がれる。
かつては、ボビー・ジョーンズが、ゴルファーの目標だった。
そのゴルフゲームの完成度だけでなく、ジョーンズの生き方、ゴルフに対する姿勢、すべてが憧れだった。ジョーンズが、アマチュアゴルファーとして、全米オープン、全英オープン、そして、全米、全英アマチュア選手権の4つのメジャーを、1年間で獲得したとき「グランドスラム」という言葉が、ゴルフの中に誕生した。
世界中のゴルファーが、その夢に向かって突き進んだ。
それは、見果てぬ夢のように、途方もない遠くにあった。
プロゴルファーが、グランドスラムを達成したのは、1935年だった。
ジーン・サラゼンである。マスターズ、全米オープン、全英オープン、そして全米プロゴルフ選手権である。その後、ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラスと続いた。その時代時代で、しっかりとした目標があった。
ニクラスは、ボビー・ジョーンズを目標に。
そして、トム・ワトソン、グレッグ・ノーマン、ニック・ファルドらは、
そのニクラスを目標に……。
タイガーも、同じだった。

ニクラスは、タイガーの出現とその後の活躍を見届けるように、メジャーからの引退をしはじめた。
「私にとって全米オープンは、男を引き出してくれる大会だった。勇気、決断……。この大会は、決してひるまず、いかに自分を保ち続け戦っていくか。それが問われる戦いだった。男にしてくれたというのは、そういう意味だ」
全米オープンで、ニクラスは、そう言った。
さらに7月の全英オープンでは、
「きっと……こうやってもうこの試合に出ないというようなことを言っても、きっとインタビューを終えてロッカールームに戻れば、頭をロッカールームにぶつけて、足で蹴って、なんて酷いスコアで回ったのだろうって言うだろう。そして、いつものように、さぁ、もっと上手くなるために練習場に行こうって言ってしまいそうだ」
そう言って名残惜しそうにプレスルームを去っていった。
タイガーが、史上5人目のグランドスラマーとなった大会で、20世紀と21世紀が行き交う場面を目撃した気がした。
タイガーは、1996年夏にプロ転向して、2000年夏までに28勝している。PGAツアーだけで22勝。ジャック・ニクラスが、グランドスラマーとなったのが、26歳のときだから、それを2年縮めたことになる。さらにタイガーは、メジャーでの最少優勝スコアの記録も塗り替えてしまった。
 マスターズ、18アンダー。
 全米オープン、12アンダー。
 全英オープン、19アンダー。
……そして、2000年の全米プロでも、
その記録を塗り替えようと戦っているところだった。

17番ホール……。
タイガーが、ティショットを打ち終えてすぐガッツポーズをした。
何故、ウッズがドライバーショットを打ち終えて、ガッツポーズをしたのだろうか。
僕は、1997年マスターズで優勝したウッズが、その年のほかのメジャーで格闘していたことが気になって仕方なかった。そこまで遠因を遡らないと、その答えを出せないと思うからだ。
1997年マスターズに優勝して、ウッズは「扉が開いた」といった。
それはむしろ社会的な事柄だった。そして、その年の全米オープンで「両親から教わったことのひとつに、他人の期待に耳を傾けるな、というのがあります。自分自身の生き方をし、自分自身の期待を裏切るな、というのです。僕が心に留めるのはそのことだけです。だから、ほかの人々がたとえ……つまり他人がなにを言おうと、それはボクの行動には関係ないんです。僕はその人たちのためにではなく、僕のために生きているんですから」
彼は、この年の全米オープンでは、これまでのセオリー通りにプレーしていた。つまりティショットでドライバーを使わずに、アイアンで攻めた。ウッズが18ホール中ドライバーを使ったのは、わずか3ホールだった。その結果、つまり古典的な常識どおりのプレーで、彼は、優勝できなかった。
そして7月の全英オープンは、逆にタイガー本来の攻撃ゴルフをリンクスでした。周囲から年間グランドスラムを期待され、日増しにウッズ現象が拡がっていく。確かに、それだけの成績は達成していた。デビュー以来1年間でのマスターズを含む6勝は、これまでのどの新人よりも素晴らしい成績である。で
も周囲はそれでも満足しない。常に勝つことを期待している。
リンクスの攻め方は、全英オープンは、そんな攻撃ゴルフだけじゃ??という嘲笑にも、彼は耳を貸さなかった。振り返ってみれば、72ホールのうち僅か3ホールで自滅したといえる。初日の11番ホール、パー4。ここでウッズはトリプルボギーを叩いてしまう。さらに2日目の10番ホール、パー4で、ダブルパーの8を叩く。そして、最終日の8番ホール、パー3。『郵便切手』と呼ばれるこのホールは、ティーグラウンドから見下ろすと、グリーンが本当に切手ほどの大きさにしか見えない。ここでウッズは、6を叩いてしまったのである。
この3つのホールでウッズは、10オーバーしている。それが優勝者とのストローク差でもあった。

僕は、ウッズがなにかを試していると感じた。
セオリー通りに攻めた全米オープンの自分流を押し通した全英オープン。このふたつのメジャーの実戦トライアルで、ウッズは、きっと何かを学習しようとしていたのだと、僕は思った。
いま、という時間を捨てることで、次にやってくる時間を、より有意義にする。そんな大胆なことをやってのけていると思った。そして、自分に何が足りないのか、これからどうすべきなのかを見極めようとしていると思った。そればかりではない。彼は、ゲーム以外にも自分の求めるスイング、球筋を確かなものにしたいと、ウエートトレーニングを始めたのである。2年計画での肉体改造だった。
土壇場で、もっともプレッシャーのかかる、しかもその1打での成否で、勝ちか負けかが決まる重要なショット……。
まさに全米プロゴルフ選手権、最終日の17番ホールの第1打が、それだった。
高くてキャリーのある軽いドローボール。その落下地点のエリアは、おそらく車の屋根の大きさ。しかもティグランドからは、林越えで見えない。そういう状況でキャリーで300ヤードを越すショットを要求していた。
この3年近くかけて、やりたかった理想のドライバーショットが、このシーンで打てたという実感が、インパクト、フィニッシュを終えたとたんに感じ取れた。
そのガッツポーズだったのかも知れない。

もうひとつ。
ここで劣勢を弾き返し、ボブ・メイを捕らえたという実感だったのかも知れない。マッチプレーにも似た、息詰まる闘い、しかも窮地に落とされているタイガーが、ここでイーブンとし、さらに勝利につなげられるという感触を持った、というガッツポーズだったのかも知れない。
72ホールのゲームの戦いに、起承転結があるとすれば、タイガーは、メジャーの72ホールの起承転結をコントロールできる選手になった。
……そう思えるガッツポーズだった。
タイガーは、優勝インタビューで、こう語っている。
「僕はグリーンジャケットを1枚もっているけれど、もう一枚欲しいからね。だけどそれはとても難しいことだ。全英オープンの時にも言ったけど、全英オープンに勝つことが第一でグランドスラムを達成することは副産物に過ぎない。だから来年のマスターズを制することで4連続メジャー制覇というのも副産物でしかない。自分はただ自分のゴルフに集中してやるべきことをやるだけ。メジャーに自分のゴルフのピークを持っていくことは、トーナメントに向かっている時に、日に日に自分のショットが良くなっていく状態でなければならない。メジャーの前に自分のベストな状態でプレーすることは望まないだろう。それが自分で調整しなければならないことだ。それがいちばん難しいことなんだけどね。今週の僕はまったくそのとおりで、だんだん調子が上がっていった。昨日を除いてはね。だけどどうにかトーナメントのトップに留まることが出来て今日の結果に繋がった。精神的にはとにかく自分の目標が何であるかを理解してそれに向かっていくこと。それは成功と失敗の繰り返しだか、僕はそのことに子供のころからし続けて来たことなんだから……」
時代が通り過ぎる。
ジャック・ニクラスから、タイガー・ウッズへ。
熱き王者の伝説は、21世紀への咆哮で再び始まろうとしている。

タイガー・ウッズ
全米プロゴルフ選手権2000
パーゴルフ別冊2000秋
                                三田村昌鳳