||||||||||鈴木規夫の巻@||||||||||
あの1976年の全英オープンから16年たった1992年、
僕は鈴木規夫と一緒にラウンドする機会が持てた。
あの時、彼は僕に夢を見させてくれた。
今彼は、グローイングのプロゴルファーに夢を与えているという。
この16年間、彼はプロゴルファーとして、そして人間として、
どのような変貌を遂げていったのだろうか。
『大地から"気"を吸いとり体中に蔓延させる』
●リバプールに近い田舎町のゴルフ場に夢をつかみにきた


ビートルズの生まれ育った町は"ペニーレイン"といって、彼らの楽曲のレパートリーのひとつに、そのタイトルがつけられている。
リバプールの中にあって、そのペニーレインという道路標識は、もう数え切れないほど盗まれている。いくら新しくしてもビートルズファンがやって来て、すぐに記念品として盗み帰ってしまうからだ。

鈴木規夫に全英オープンの予選会から挑戦してみたい、と聞かされた時、僕は、どうしても同行取材をしたいと思った。その年、1976年の全英オープンは、ロイヤルバークディールで開かれた。地図を見るとロンドンから電車で2時間あまり、リバプールまで行って、そこから車でわずかなところにそのコースはあった。
僕は格別なビートルズファンではないけれど、彼らが生まれ育ったペニーレインやリバプールの街がどうしても見たかったのだ。

鈴木規夫の出発に遅れること2日。
僕はロンドンから電車に乗った。
高校時代の英語の授業で読まされたことのある英国のエッセイストの文章を、車窓を見ながら憶い出していた。僕らが勉強させられた文章の中に出てくる英国の風景は、まだ英国が大英帝国と呼ばれ、それなりのゆとりや優雅さがあった古き良き時代の話だった。確かに車窓の風景、小鳥のさえずりや草原、丘や木々、そして空気もイングランドを感じさせてくれたけれど、人の気配は、失業やストライキという現実的な尖ったものを同時に感じさせていた。
リバプールの港は、廃墟に近かったし、人の動きも活気のあるというものではなかった。
「でも、俺はここに夢をつかみに来たんだ」
鈴木規夫は、ギラギラした眼でそう言った。


●全英オープン初出場で大活躍をした鈴木

鈴木の第1打。
僕は、勢い勇んでティグラウンドの真後ろに立った。
見ると荒れ果てた草原という感じで、グリーンだけがいくつも見える。
「ねえ、1番のグリーンは、どれ?」
思わず僕は鈴木に声をかけた。
「人がこれから気合い入れてスタートする時に、そんなこと聞くなよ。……俺もよくわからなかったんだけど(笑)、昨日の練習ラウンドでよくわかったんだ。不思議なコースだよね。フェアウェーが途切れてるんだものね」
鈴木と同じ組で回った米国人はセルフの学生だった。
彼の第1打は左のラフ。
深いラフでボールがなかなか見つからない。
何故か予選会でもギャラリーがいる。
30人ぐらいのギャラリーが、いっせいにボールを探す。
「あったぞ!」と誰かが叫ぶ
。ホッとするのは選手だけでなく、一緒に探したギャラリーもであった。
「私がキャディをやってあげよう」
35歳ぐらいの男性が、いきなりその学生に声をかけて、バッグをかつぎ出した。
「どうなってるの?」
僕と鈴木は顔を見あわせて、そんな顔をお互いにしてみせた。

その鈴木規夫が、見事に予選会に通ったばかりでなく、本戦の全英オープンで驚くべき大活躍をして、日本人選手初の10位に入賞したのである。一時は、優勝争いの渦の中に入って、ひょっとしたら面白い展開になるのではないかとさえ思った。
「どない? ミタさんも夢が少しは見えた?」
僕は、確かにいい体験をしたと思った。
全英オープンは最も歴史の古いオープン競技である。
その予選会を見ると、文字通り、誰にでも門戸を開ける"オープン・ツー・ザ・パブリック"の言葉通りだった。それに鈴木規夫の活躍。そして僕は、19歳のセベ・パレステロス、彼の実質的な世界へのデビュー戦を見た。2位だった。そしてニック・ファルドは17歳で、顔つきがともすると小生意気で、こいつは強くなりそうだと思った。
全英オープンは、ペニーレインの感動よりも、ずっと大きな感動を与えてくれたのである。


●プロとアマチュアの違いを
 見せつけられたトーナメントの練習日

真夏日の暑いある日のことだった。
鈴木規夫と僕は、TPC馬頭後楽園ゴルフコースで約束していた。
あれからもう16年が過ぎていた。
彼も僕も中年と呼ばれる年齢になっていた。
道すがら僕は、16年前の全英オープンを想い浮かべていた。
そして彼と一緒のラウンドが楽しみで、車の中でもワクワクしていた。
クラブハウスに近づくと、何となく雰囲気がいつものコースと違っていた。何かピーンと張りつめた、笑い声すら聞こえそうもない空気が漂っていた。車を止めてクラブハウスに入ると、僕はア然とした。
試合の練習日じゃないか。
選手たちが受け付けしている。
『グローイング・ツアー』の1試合だったのだ。
大会初日は、翌日であった。
僕は場違いの空気に戸惑った。

TPC馬頭後楽園、つまり東京ドームは、このグローイング・ツアーを年間5試合バックアップしている。鈴木は、その東京ドームに所属している。鈴木がその昔、全英の予選会に夢を追い求め、自らの道を拓いた経験と、まんざら無間係ではない。
練習場は、プロたちで埋っていた。
その技量の差で気圧されるというよりも何か気合いというか空気の違いで圧倒され、思わず足が止まってしまった。所在がなかった。練習グリーンでも、選手たちが放つボールは、様々に鼓動を感じられた。どのボールもカップに向って行こうとする強い意志があった。
「さあ、スタートしよう」
鈴木が僕に声をかけた。
彼のあとについて1番ティグラウンドに向った。
ティマークは、ひとつしかなかった。
それもフルバックのティグラウンドの最後方、ギリギリの1メートル幅しかないところにティマークがあった。
考えてみれば、いや考えなくても当り前だ。
試合の練習日なのだから、白いティマークも赤いマークもあるはずがないのだ。

「どうぞ」と、これもごく自然に、当り前のように鈴木は言った。
僕にとっては、彼らプロフェッショナルが、ごく自然に、当り前のようにする挙措、しぐさが尋常ではない。心の平静さを失ってパニック状態になっている。
打たなければいけない。
ティアップしてアドレスするまでの瞬く間の時間に、数々の想いが閃光する。
……まさか試合の練習日だなんて。もっと気楽に考えていたのに。なんてこった。うまく当たるかな。やっぱり練習場でボールを打っておけばよかった。もう少し睡眠時間をとればよかった。風が吹いてる。次の組の選手たちが来ちゃった。僕を見てる。ダフったら、トップしたら。狙う場所は。やけに長いホールだ。早く打て、打たなければ。アドレスは、これでいいのか。見られてる。振るんだ、振るんだ……。
僕は、うなされた。わずか数秒間で、これほど頭が小気味良く、まるで回路の中が迷路になったコンピュータのように蠢いていた。見るとボールが飛んでいる。誰が放ったボールなのだろうと一瞬思うくらい、自分が打った気がしない。ボールは右に飛んでいた。
鈴木規夫が打った。
171センチ、体重68キロ。
小柄な体で、見事にヘッドスピードを生かしているスイングだった。昔の彼のスイングには、鋭利な痛さすら感じたが、今はまったりしている。放物線の糸が残るようなボールだった。


●「アドレスしながら自分の体に
  "気"を入れることを考えるんです」

「プロとアマチュアは、ティグラウンドに上がる前からもう違うんですよ」
歩きながら彼は話しかけてきた。
「プロは、目的が明解にあってスイングしていくんです。ティグラウンドに上がる時には稼ぎに行くわけです。これしかないわけ。それが職業なんだから。だからティグラウンドに上がる前から、他人よりも1打でもいいスコアであがる。余計に稼ぐという、その"気"になって上がるんです。
アマチュアの人は、目的がまちまちですよね。健康のため、趣味、接待、エンジョイ、仲間との交遊、そしてある人は競技……ですからその"気"が違うんです」
気――
空気、
呼気、
吸気、
大気、
熱気、
気味、
気性、
気質、
気風、
気字、
気分、
気色、
心気、
天気、
病気……。
「"気"が違うわけですね。僕は、アドレスしてまず考えることが、自分の体に、スイングに"気"を入れることなんです。足の裏から大地の気を吸いとって体中に蔓延させて、やがて両肩からグリップ、そしてクラブヘッドの先に、それを伝えていく」

アマチュアは、打つ前にいろいろ考える。
20も30も考える。
いや考えるのではなく邪念が入る。
心の片隅に、ほんの少しの不安があってもスイングは動揺する。それは、目的意識が希薄だったり、うまく打ちたいと思ったり、ミスをしたくない、いいスイングをしたいという欲求が多すぎるからだという。
ショットに入る前に、ボールと目標ラインを結ぶ。どこに落としたいかをしっかりと把握し鮮明にさせる。ここまでは理解できる。
「その時に、できれば目標ラインと正対しないで、そのラインを右肩にして立ちたいね。それのほうが、次のセットアップまでの動きに無駄がないし、右肩からラインをキープさせることで、スタンスや腰、肩の線が平行にとりやすい」
プロの動きである。
無駄なく正確性が強い。
「そして構えたら、もう1回、落としたいところを見定める。その時は、スイングチェックなんてするんじゃない。そういうのは練習場ですることでコース、ゲームでは絶対ダメだね。プロは、どんな打ち方でも、落としたいところにボールが落ちればいい。自分のスイングのことばかり考えるというのは、打つ方向に"気"が向いていないばかりか目的意識が失せてしまいやすい」
鈴木のいう通りに、僕は、飛球線に対して右肩をあわせセットアップに入った。そして構えた。
「見たまま、感じたままそれを3回口に出して言ってごらん。あとはボールがどこへ飛んで行こうが気にしない。要は、今まさに"見たまま、感じたまま"の自然体で、"気"を吸って打つだけ――それでいい」
プロフェッショナルの発想だと思った。

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●鈴木規夫(すずき・のりお) 1951年10月12日、香川県生まれ。
'73年プロ入りの翌年から九州オープンで5連勝、"九州の若鷹"ともてはやされた。'76年、予選から全英オープンに挑戦。通過するや、本番では初日トップ、S・バレステロスと激しく競り合い、結局10位。その他国内で20勝を記録。'83年急性肝炎で倒れ不調をきたす。東京ドーム所属。171cm、68kg。
●1992年11月号 月刊パーゴルフ連載 © 三田村昌鳳