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| ||||||||||樋口久子の巻@|||||||||| |
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『切り返しでの一瞬の間合い
下半身を回転させるのではなく
むしろ踏ん張っていく』 |
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●毅然としていた。そしてとにかく強かった。
ボビージョーンズがアメリカの雑誌『エスクワイア』誌に書いた原稿を拙訳したことがある。
その文章は、1930年代中頃に発売された号だから、ちょうどジョーンズが引退して間もなくのものである。
『……競技ゴルフでゲームに対する集中力ほど大切なものはない。(中略)こういう緊張感を選手のまわりにいる友達やギャラリーが理解してくれるとありがたい。でも、往々にして、緊張感を和らげようとしてかえっていちばん悪いことをしてしまう場合が多い。その選手を勝たせてあげたいのなら、プレー中に話しかけないことだ。愛想のない、不親切な選手だと悪評をたてられる選手は多いけれども、声をかけられても聞こえなかったり、あまりの緊張感から気のない返事をしてしまうことだってある……』
僕は、この文章を訳しながら、ふと樋口久子のゲームを想い浮かべていたのを思い出す。
それほど樋口のプレーは、毅然としていた。
インタビューの時でも、近寄りがたいバリアが樋口の周辺3メートルほどに張り巡らされていた。試合になると、それは樋口を中心にフェアウエー全体に広まって、いま想えば、その試合の緊張感が懐かしい。
僕は、ボビージョーンズと樋口の競技ゴルフに臨む姿勢は、なんら変わりがないものだと確信した。
ちょうど僕が、新米のゴルフ記者をしていた頃、樋口久子はほとんど無敗で日本女子プロゴルフ界を引っ張っていた。
とにかく強かった。
記録を見ると、年間2試合しかなかった1968年、69年は完勝(日本女子プロ選手権、日本女子オープンの前身TBS女子オープン)だった。その後、試合数が、6、5、7、14、20試合と年毎に増えていくが、樋口は、3、4、5、7、8勝と驚くほどの勝率で勝っている。特に、日本女子プロ選手権では、7年連続優勝している。
僕が樋口久子の試合で印象的だったのは、1974年の日本女子オープンだ。浜松シーサイドGCで開かれたこの試合で、樋口は佐々木マサ子に敗れた。試合後、何故か樋口の表情がさわやかだった記憶が深い。笑顔があったのだ。負けた悔しさよりも、むしろこれで肩の荷が降りたという実感が伝わってきた。
「みんなから勝って当たり前と思われてますから、すごく苦しい時もありますよ。優勝しても嬉しくない時もある。でも、そういう風に言われる時がやっぱり一番いいんじゃないかと自分でも思いますね。強いから言うんであって、弱くなったら言わないだろうし。複雑ですね」
でも、僕には相変わらず近寄れない女性だった。
ちょっと意味不明な質問をすると、大きな瞳で睨まれているような気分だったし、あと一歩踏み込んだ取材をしたいと思っても、なかなかそのバリアの内側には入れてくれない。
それが樋口久子だった。
その頃の印象は、いまも少なからず引きずっている。
それから樋口プロも僕も年月を経ているのに、取材となると想い出してしまうのである。
●バックスイングで頭を自由に動かすそれはスエーではない
千葉・浜野ゴルフクラブ。
約束の時間よりも僕は、かなり早目にコースに着いていた。
いつになく緊張していた。
練習をもっとしておけばよかったと、まず後悔する。
樋口さんは、練習の虫と言われるくらい練習を欠かさなかった。
黙っていれば一日中ボールを打っていたという。
「練習がつらいとか、嫌だとか思った記憶はありませんね。毎日練習していると、楽しくなってくるんですよ」
練習が楽しい?
僕は聞き返した。
僕は、忙しさにかこつけて練習しない典型的なアマチュアだ。
だから練習が楽しいと思えるほどやったこともないし、ましてや練習の苦しみを味わったこともない。
「ジョギングしている人が、走らないと体の調子が悪くなったり、走っていることが楽しくなるのと同じだと思いますよ」
樋口さんは、高校時代ハードルの選手だった。
クラブを握ったことはそれ以前にも何度かあったが、本格的にゴルフを始めたのはその頃で、中村寅吉プロに弟子入りした。
「おい、もう帰るぞ」と言われるまで練習する毎日が続いた。もちろん、その練習の中には、ただひたすらボールを打ち続けるだけでなく、みんなで木を狙って打ったりという遊び感覚(実戦感覚)を採り入れてもいた。
樋口さんといえば、あの独特のフォームが眼に浮かぶだろう。バックスイングで上半身を大きく揺さぶってトップに至るあのスイングである。
樋口久子の《スエー打法》といわれたものだ。
「みんなスエーしているといいますけど、私自身ではそうは思っていないんですよ。だって下半身はスエーしないんです」
スエーという言葉のニュアンスは難しい。
ゴルフのスエーというと、そのほとんどが悪い癖ととられてしまう。樋口のそれは、似て非なるものである。見ていると、確かにテークバックから上半身を大きく使って深いバックスイングをとる。
これは俗に言う『頭を動かすな』という言葉からは外れる。
それがスエーだということになった。
果たしてそうだろうか。
「頭は動く(回転する)もの」
と、どのプロに訊いても、やがて言い出す。
アマチュアは頭を動かすまいとして左肩が落ち、つまったトップとなる。そして今度はその反動で右肩が落ちてのけぞる、というスイングになりやすい。それなら頭をもっと自由に回転させてやることで、つまりバックスイングで動かすことで、ゆったりとした打ちにいけるトップにしたほうがいい。
「私も最初は、あんなに上半身を揺さぶっていなかったんですよ。ゴルフを始めた当初のスイング写真をみると、全然違っています。奇麗なスイングでしたよ(笑)」
●回転という言葉だけでは言い切れない下半身の動き
あの独特のフォームは、もちろん中村寅吉プロのアドバイスによるものである。
「それがいつだったかは忘れましたが、きっと中村先生が研究して考え出したものだと思います。先生は、研究熱心だったしアイデアマンでしたよ」
アイデアマンという意味では、樋口さんはこんな練習もさせられたという。
「ちょうどおヘソのあたりにゴルフボールを挟むんですよ。スラックスの裏側とおヘソの間に挟まるように。そして、そのボールをフォローからフィニッシュにかけて押し出してみろって言うんです」
どういうことか。
つまり、腰に必要なのは単なる回転運動だけではないという実感を味わわせる実験であった。
バックスイングで右に捻られた腰は、当然、捻り戻されていく。ところが、その間に右腰を押し出して、さらにフォローからフィニッシュにかけて「おヘソを空に突き出すイメージがなければいけない」ということだった。それが、粘りのある下半身になる。
「ちょっと、トップをつくってごらんなさい」
と言われて、僕は言われるままにトップの形をつくった。
樋口さんは、その僕のクラブヘッドを押さえた。
「ダウンスイングしてごらんなさい。このまま、思い切り」
僕は、体を捻り戻し、グリップでクラブを下ろそうとした。
「あなたのスイングは、一見いいんだけれど、これがないのよ」
これ、とはトップからダウンスイングへの切り返しの時に、一瞬、下半身を回転させるのではなく、右腰をアドレスの位置に戻そうと、むしろ両足で踏ん張っていく動きだった。それにともなって、右肩、右腕が引き込まれていく動きである。その実感が、切り返しでの一瞬の間合いであり《タメ》といわれるものなのだろう。
「それから右のヒップをグイ〜ッて押しやっていく。これが下半身。ね、回転という言葉だけじゃ言い切れないでしよう」
樋口さんの技術は、まさに中村寅吉プロ直伝の宝であった。 |
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●樋口久子(ひぐち・ひさこ) 1945年10月13日生まれ。埼玉県出身。
"世界のチャコ"も来年の誕生日でついに50歳を迎えるが、そのいぶし銀のプレーは衰えを知らない。日本女子プロゴルフ協会1期生で、現在は同協会副会長。と同時に主婦業、母親業、もちろん選手業もこなす多忙な毎日である。通算72勝――偉大な足跡は枚挙にいとまがない。 |