||||||||||天野勝の巻@||||||||||
『脱サラへのアドバイスは、
1、2が体力、
3、4が精神力、
技術は後からついてくる』
●強烈な印象だった最初の出会い

僕が初めて天野勝と出会ったのは、今から20年近く前になる。天野が4回目のプロテストに合格して、ようやくツアーの何試合かに出場できるようになったころだったと思う。
あれは確か、秋川の男鹿で開かれた1976年の関東プロ選手権だった。そのコースの付近には宿泊施設も少なく、夏と重なって余計に宿泊に苦労した思い出がある。結局、コースに近い民宿まがいの暗い部屋に泊まった記憶がある。
天野とは、その時同じ民宿まがいの宿で初めて顔をあわせた。
「私、知っていますよ。三田村さんでしょう」と声をかけられた。
暗い部屋の外の廊下で、天野の眼だけがギョッと光って見えた。なぜか、その時の記憶だけが、深く残っていた。
その2年後に、天野がゴルフダイジェストトーナメントに優勝した時も、シニアで活躍し始めた92年も、頑張っているな、と思うほど、あのシーンが浮かんでくるのだ。
ほんの一瞬の出会いだった。ただそれだけのことなのに、天野のあの輝く眼が忘れられなかったし、初対面の人に名前を呼ばれたことも、印象的だった。
「僕は卓球をやってたんです」
ということぐらいしか、その時の会話はなかった。
「卓球ですか。僕も中学時代にやってたんですよ」
そう言った。
中学時代に、卓球が異常に流行った。昼休み時間はもちろんのこと、ほんの5分ほどの休み時間にも、いくつもの卓球台は、すぐに人で埋まるほどだった。
早く自分の順番が来ないかと待ちに待って、ようやく来たかと思えば、あっという間に終わってしまう。
それが悔しくて、毎日何度も素振りをして、強くなろうと必死だった時代をふと思い出した。
僕は左利きでラケットを持っていた。それが有利に働くこともあったし、不利になることあった。ともかく熱に冒されたように、一気に熱くなり、その興味は、2年ほど続いて冷めた。高校時代には、卓球のクラス対抗戦があって、僕はクラスの代表に選ばれた。3年生の時だった。
緒戦の対戦クラスは1年生で、負けるはずがないと思っていたら、軽く敗れた。その中に県下の中学チャンピオンがいたからだ。そのレベルの違いは、ゴルフで言えばシングルとビギナーほどの差があったように思える。
僕の卓球に対する熱が完全に冷めたのは、この時だった。それは今から思えばいい想い出である。
でも天野勝の卓球は遊びではなかった。実業団で選手だった。知らないというのは恐ろしいものだ。もしあの時、知っていたら卓球をやっていたなんて恥ずかしくて言えなかったのに……。

●何故みんなうまく打てないのか不思議だった

江戸崎カントリー倶楽部で天野と取材の約束をして会った時、僕は、秋田の時の話をした。けれども天野は「まったく記憶がない」と言っていた。記憶というのは面白いものだ。同じシーンの中にいて、それが残っている人と忘れ去ってしまう人がいるのだから。
それよりも、天野は、ともかくしゃべり続けた。
彼の饒舌さは、トレビノも舌を巻くほどだ。
「何でゴルフをやるようになったんですか?」と質問しただけで、一気に喋りまくって止まらなかった。
「実業団で卓球やっていて、でもこのままではこの先食べていけないと思って、止めたのよ、会社を。その昭和43年8月で26(歳)になる時だったからね、なんにもしないと体がなまるっていうのか、3、4週間も運動しないと、ストレスが溜まるしね、何か発散したかったんですよ。ええ、職業安定所に通っていたころですよ。すると、ふと見るとゴルフの練習場があったんですよ。ネット越しに見ていて、止まっているボールを、なんでみんなうまく打てないんだろうって、思ったわけですよ。だって、ゴルフボールは、当時スモールボールだったけど、それでも卓球のボールよりも大きかった。だから、ゴルフボールって大きいなぁって感じたのよ(笑)。それでいて同じ遠心力で打つわけでしょう。ゴルフボールは、下にあって止まっているわけだから、卓球の感覚で言えば、振りを縦に描ければ、絶対に空振りすることはないと思ったわけ」
人が練習している風景を練習場のネット越しに見て、そこまで分析していた。
「練習している下手な(笑)人たちを見ていて、なんでみんなうまく当たらないんだろう。素直に2つの縦の円を描いてやればいいのにと、思っているうちに、段々自分でやってみようと決めていた」

●卓球の経験を活かして7か月でハンディ4に

とりあえず、ドライバーと5番アイアンを借りた。
グリップの握り方もわからないから野球のグリップ。で、最初はハーフショットで打った。当たる。で、少しずつスイングを大きくして試した。当たる。
「いい当たりがするほど、70〜80ヤードあたりから少し右に曲がるような球筋が出たんですよ。そうか、ボールが右に回転しているのか。だったら左回転をかければいいんだ……それを繰り返しているうちに、うまくいって、面白くなったんですよ」
これがゴルフ初体験だった。彼は、ゴルフを始めて7か月でハンディ4までになった。職業安定所は、どうなったのか。
「ゴルフをやり始めて、2か月ぐらい練習して、失業手当もらいながら球を打つのが馬鹿らしくなっちゃった。だから、1箱24発打つでしょう。僕にとっては、それは100発打つのと同じ分だけ吸収しなきゃと思ってやってましたよ。それだけ考えながら打ったわけですよ」
それでもお金がもったいないからと、練習場オーナーとかけあった。
「僕、今なにもしていないんですよ。何でも手伝いますから、ボール打たせてください。お金も要りません」
「えっ、お金いらないの?」
それで練習場通いが始まった。練習場は、八幡山にあった。
よくジュニアからゴルフを始める人と成人してから始める人の違いを聞かれる。また、30、40代と遅く始める人もいる。
大きな違いは、知恵、知識が邪魔をするかしないかである。ジュニア時代からなら、とにかく体に覚えこませてのゴルフ。歳をとるほど、頭で考えるから上達が遅いといわれる。
けれども、天野の場合は違った。卓球時代の知恵と体が役立った。
天野は、その当時もちろん結婚していた。もの静かで、地味で一見暗い性格に見えた天野は「僕、かなり楽観主義ですよ」と言って笑った。
「よく、脱サラのアドバイスとか聞かれるんですが、僕の考えでは、プロって言うのは、1に体力、2に体力、3、4が精神力。技術? 技術は、5、6なのよ。いまの若い人は、まず技術をよくしようとする。でも、僕の考えでは、イメージを一流にさせること。そうすると技術は後からついてくる」
この人の眼の輝きは、そんなエネルギーに満ちた生き方からきていたのだと思った。

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●天野勝(あまの・まさる)
学生、実業団と卓球で活躍。26歳でゴルフを始め、4回目のプロテストで合格。レギュラーツアー時代は、関東オープン(79年)など5勝。92年からシニアツアーに参加し、デビュー戦V、3週連続優勝を含む年間7勝で賞金王に。93年は関東プロシニアの1勝だけだったが、ベスト10入り11回(16試合)と安定感は相変わらずだ。175p、72kg。フジ開発所属。
●1994年8月号 月刊パーゴルフ連載 © 三田村昌鳳