チョイス 1988.1

ジャンボ軍団が見たドン・尾崎将司の指導力と統率力

昨年の世界四大ツアー対抗戦“世界選手権”は日本チームが華々しい逆転勝利を飾った。ジャンボ尾崎をキャプテンとした日本チーム、結束の勝利だったが、その時話題になったのが尾崎将司の“統率力”。ジャンボ三兄弟を中心に、総勢25人のジャンボ軍団は尾崎を首領とするプロ・ゴルフ会の一大派閥。尾崎将司の吸引力、長としての指導力、ひいては人間としての魅力を団員の眼を通して覗いてみる――。


東聰は、ジャンボ軍団に入ってから一度だけ、クビになりかけたことがある。もちろんジャンボ本人から「お前なんか出て行け」と宣言されたわけではない。東聰は、それでもひょっとするともう見捨てられてしまったかも……」の覚悟でいた。
昨年のブリヂストン・トーナメントのことだった。
最終日、東は比較的スタートが早かった。
前日69のスコアを出して、この日の出来いかんでは、20位以内には楽に入れるかも知れないと期待したラウンドだったが、結局75を叩いて崩れた。
優勝争いは、同じ軍団の尾崎建夫と直道だった。
直道が追い上げて、一時は建夫を逆転して首位に立ったにもかかわらず建夫は、17、18番ホールと連続バーディを取って、このシーズンの初優勝を果たしたのである。
好試合だった。
東は、それより先にガックリと肩を落としてクラブハウスを去って行った。
もちろん、建夫と直道の激しい戦いぶりは知らない。

ジャンボ尾崎が血相を変えたのは、建夫の優勝が決まる前からだった。
東が、先に帰ってしまった??ある意味では、それはさ細なこととして受けとめることもできる。しかし尾崎の意識は、全く逆だった。
「何で帰ったんだ!」
近くにいた飯合が驚くほど厳しい顔だった。
「こんなにいい試合を仲間が見せてくれているというのに、それも見ないで帰るやつがあるか! あいつには向上心というのがないのか!」
というのが、怒りの理由だ。
その尾崎の言葉は、すぐに飯合から東に伝わった。
それから東は、3度、尾崎の家を訪ねている。
すれ違いで会えなかった。
4度目に行ったとき、尾崎は庭で練習をしていた。
深々と頭を下げる東に弁解はない。
しかしそこでの尾崎は激怒している様子は全くない。
むしろ一言一言、噛みしめるように東とふたりで話し合っている。

肌寒い晩秋の夕方であった。
もう3時間も庭先で尾崎と東が、同じような風景のままでいる。
「ひとつが弾けると、全部がバラバラになってしまうものなんだ」
東は、尾崎の言葉を聞いているうちに、不思議に自分の気持ちが抑揚して行くのに気がつていた。
「こんなに僕のことを期待してくれているんだ」
……そう思ったという。

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中島常幸は、今年のキリンカップ世界選手権の初日が終わったとき、ぽつんと呟いた。この日、日本チームは団体戦で豪州チームと対戦して6対6のタイポイントだった。昨年の初日に比べれば、1ポイント優勢で2日目を迎えることができるのに、ムードはいまいち湿っていたのだ。
「昨年はね、戦う前から“勝つんだ!”というムードが蔓延してた。みんなのエネルギーがグングンと盛り上がっていく感じがあったんだ。あれ、きっとジャンボがそういう風に仕向けていたんだよ」
中島常幸は、不思議に納得したような語り口調でそう喋っている。
飯合肇は、ひょっとすると兄弟意外で初めて、そんな尾崎のカリスマ性に牽引されてここまでのし上がってきた人間かも知れない。
「建夫と知り合って、その口ききでジャンボ軍団に転がり込むようになった。うちの親父は地方公務員だし、姉は小学校の先生だったし、親戚も教育者が多いんですよ。だから、僕だけ変わり種でね。
それに……僕はあんまり勝負運のない星の下に生まれたんだと思っていましたよ。中学時代も野球で県大会代表寸前。甲子園もあと一歩の、県の準決勝で敗れたし……大学に入って駒大野球部に籍を置いたんです。それも一年で断念したんです。身体を痛めてね」

その飯合がジャンボ軍団に入って、尾崎は彼の意識を変えるように心がけた。“お前はジャンボ軍団の第四の男になれる素質を持っている。メシの下半身のバネを生かせば、きっといいゴルフができる”と。
「僕にとって幸運だったのは、まるで雲の上の人だと思っていたジャンボと一緒に汗を流せたことなんですよ」
ジャンボをはじめ、建夫、直道らが試合に行ってしまうと、習志野は急にしずまりかえってしまう。試合に出られなくて、家でテレビを観ているときがいちばんつらかったという。
「だってそこ(テレビ)には、ジャンボや建夫、直道がいるわけでしょう。一緒に汗を流した人間なのにそれだけ隔たりがある。これはたまらないですよ」
 汗を流すしかないから、ボールを打つ。飯合にとっては、自分の努力と、ジャンボの自分に対する期待感だけが頼りになっていた。そんな飯合が初シードに入ったのは今から3年前のことだった。

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羽川豊がジャンボ軍団にやってきたのは、そんな古い話ではない。
スランプに陥って袋小路の中でもがいていた。頑固な彼は、それでも何とか自分で脱出しようとしていて結局は、にっちもさっちもいかなくなった頃に軍団の門を叩いた。
「あれだけ暗く沈んで途方に暮れていたのに、いまは、ゴルフが楽しくなりました。何なんですかね、これは……」
尾崎が羽川に対して当初考えていたことは「まず心を開いてゴルフをすることだ。もっと無邪気になることから始めないと。それに外科的な荒っぽい手術だけじゃ、ゴルフは治らない。長い間かけて漢方薬を飲み続けるような治療が必要なんだ。3年かけてつぶれたんなら、3年かけて治していけばいい」
羽川は、その言葉で軍団の一員としてスタートすることを決心したという。
「兄貴は、引き上げるのがうまいんだ。なんかこう、兄貴の言葉とか行動を見ていると、いつのまにかこっちもその気になってしまうんだね。でそれは、引き上げられるということだけでなく、あっ、これなら落ちるはずがない、落ちてもすぐ這い上がれるっていう信頼感みたいなものが生まれてくる」
それは話術や知識だけでない。
技術だけでもない。
そういうものがすぐれていても、キャラクターとして何がしかのカリスマ性を持っていなければ、そうはいくまい。尾崎将司という男は、いつもやさしさと厳しさが手頃に同居していて、その塩梅が実に巧みなのである。そこにきっと魅力があり、カリスマ性を感じさせる何かが存在しているのであろう。
「僕は学生時代から先輩、後輩の上下のけじめを厳しく言われてきた。だから最初はずいぶんとまどいました。なにしろ、違う意味でのけじめは確かにありますが、先輩だからという遠慮入らないんです。それにジャンボさんは成績が良ければ一緒になって喜んでくれるし、悩みを訴えると一緒になって考えてくれる。こんなことって今までになかったですからね」
東聰と同じ日大ゴルフ部出身のプロゴルファーである金子柱憲は、ジャンボ軍団の独特の雰囲気に気圧されながらも次第に馴れ染んでいた。
現在、ジャンボ軍団は、総勢25名の大所帯である。
プロゴルファーが18名。
研修生が5名。
女子プロ志望が2名いる。
そのうち13〜14名がトーナメントに出ている。
その研修生たちは、尾崎家の近くにアパートを借りていて、朝早くから夜遅くまでたっぷりと練習もできるし、また雑用もこなす。ときには、試合でプロたちのキャディをやることもある。もちろんプロゴルファーであっても勉強のためにジャンボや建夫、直道のキャディをつとめることもあるのだ。

ジャンボ軍団のトレーニング・メニューはすべて尾崎の手作りである。
これまで何十冊とノートに記したことの中から、いちばん効果的でマッチングするものをメニューとしてつくり出す。その中で、自分がやっていなかったことをやらせることは、ほとんどない。新しいものがあれば、まず自分で試し、その上で若手たちにもやらせる。それに、たいがい、これをすれば、こういうメリットがあるという注釈もきちんとつけ加えてある。メニューが書かれているノートには、イラスト入りの部分もある。尾崎が、書いたものだ。
「ジャンボは若い研修生と同じメニューをこなすんです。そればかりかトレーニングが終わって食事をすませて一休みすると、それからまたボールを打ち出す。もう10時、11時ですよ。それを当たり前のような顔をしてやっているんだから。そうなるとこっちも手を抜くわけにはいきませんからね」
 羽川豊は、尾崎が、団員にこう言っているという。
<自分から率先して練習しろ>
<感謝の気持ちを持て>
<恩は、成績でかえせ>

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ある朝のことだ。
ようやく太陽があがりかけた頃である。
尾崎は誰よりも先に起きて来て、居間の窓から庭をながめていた。
まだ当然、研修生たちも庭掃除に来ていない。
尾崎は、大きなガラステーブルに向かって何かを書き始めた。
それは、彼らに対する課題であったり、注意点であったりする。
「俺たちは、もういちいちジャンボから細かい部分まで技術にどうこうということはないんだけど、若手たちには、熱心に教えている。
ジャンボは、絶対にこうしなければいけないという教え方はしない。ただ、その人間が次のステップに進むために絶対マスターしておかなければいけないものや、そこを直さなければいけない技術に対するおしつけは、あるね」
尾崎建夫の言葉を借れば、ジャンボ軍団は、尾崎将司の技術の“理想武装と実践”が骨組みとなって形成されているという。

尾崎将司が、5月のフジサンケイ・クラシックで見せた2度のチップインは、まだ記憶に新しい。川奈ホテルゴルフ場の16、17番ホールである。ここでも建夫のいう理論武装と実践の一端が出現する。
16番ホールに関していえば、あれはグリーン奥からのチップインであった。第2打をオーバーさせたのちの第3打の奥からのアプローチは、少なくともジャンボ軍団全員が練習日に何個も何度も繰り返し練習していたのである。このホールでわざわざ練習日にグリーン奥からアプローチ練習をしていたのは、この軍団以外あまり見かけなかった。
さらに17番ショートホールのチップイン。
もっとも2度続けてチップインさせてしまうのは奇跡的なことだが、この伏線は、ちょくちょく尾崎家の練習風景の中で見た。

若手プロや研修生たちがアプローチの練習している。
それを見ていて尾崎が叫ぶ。
「何だァ、その打ち方は……。ちょっとクラブを貸してみろ」
そういって土の上からアプローチを始める。ベアグランドで練習すると、まず少しでもダフれば顕著にミスとわかる。正確に打ち込まないといけない。ミスのアローアンスを縮めるには、もってこいである。
特に、柔らかくてフワリと上げるアプローチなどは非常に難しい。芝の上からでも難しいのだから、ベアグランドではなおさらである。
「おーい、みんな集まれ。いいか、この打ち方には簡単なコツがあるんだ」
尾崎がそういうと、若手たちの顔が、少し前にのり出す。
「どうだ、いまの打ち方は?」
一打一打、そう尾崎が質問する。
「いまの打ち方と、前の打ち方と、どう違う?」
みんな黙ったままだ。
「いいか、もう一度打つぞ」
そういってまた打ち
「さあ、今度はどうだ」と聞く。
ひとりが答える。
「今のは、ダフっていました」
「えっ? ダフっていた? じゃあ、これはどうだ」
少しボールが沈んでいたりする場合、ソールをすべらせる打ち方をする。
それはダフりと少し違う。
ソールをすべらせて、ボールをフェースに乗せて運んでいくのだ。
腕全体のスウィングで、手首はむやみに使わない。
それをさっきからやって見せる。
「簡単なコツがあるんだ」と、みんなをひき寄せて、1時間以上も繰り返す。 このシーンを目撃したのが、フジサンケイの数週間前だった。あの17番ホールは、まさに同じ打ち方だった。

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高橋完、佐野修二というそれまでは無名であったプロが軍団に仲間入りして、今シーズンは、トーナメントでよく名前を見かけるようになった。彼らは「今まで遠回りしていたような気がする」と、尾崎のアドバイスに目を輝かせる。
「兄貴は、その人の持っている技術のいいものを引き出すのがうまいと思う。そうしておいて悪い部分をうまく矯正させていってしまうんだ」
尾崎直道は、そういう。
「理論だけの人はたくさんいるけど、兄貴は実際にその理論であれだけの成績をおさめている。これはたまらないですよ。それに自分でやるのも教えるのも真剣なんだ。だから僕ら自分自身で、自分の成長がはがゆくなってくることもある」

金子柱憲は、いま悩んでいる。
「ジャンボさんのところへ言って全部喋ってしまえば、何でも教えてくれると思うんです。でも、もう少し自分でやってみようと、つい思っちゃうんですよ。先輩、後輩という大学での習慣が、そういう点でいまいいち気軽になれない性格なんですよ。ダメですね」
金子とは反対に、東は、
「ぼちぼちジャンボさんが何か注意してくれるんじゃないかって待ってしまう甘えもたまにあるんですけどね」
という。
が、確実に言えることは、トレーニングにしても技術的なものにしても、“ジャンボにつていけば何とかなる、ジャンボがやっているのだから自分たちにもできるはずだ”という雰囲気をジャンボ自身が実践の中で作り出していることだろう。
キャンプのあとは、きまって打ち上げをする。
このときは、ホントに無邪気にめいっぱいの大騒ぎをする。
「気合いが違うんですよ。トレーニングやボールを打っているときでもそうだけど、遊ぶときも思いきり気合いをいれて遊べっていう主義ですからね。軍団が、ひとつに溶け込むのは、こういう部分じゃないかな」
羽川が、よそいきの顔をして歌をうたったりすると“ブーイング”が出る。
まる裸を見せろということか。
歌が下手でもすぐに“交代”のブーイングだ。
そして、そんな時「率先して行かないと軍団の仲間として見てくれない」(羽川)という。
「ここにきたらまず、少年の心持たなくちゃいけない。無邪気になれる。それが熱中できることだし、あくなき情熱でゴルフに挑戦できることだ」
尾崎は、常々そういう言葉を口にする。
それはとりもなおさず、ゴルフが技術と器量によって出来あがっているものだと尾崎が考えているからにほかならない。

パーティという部分では、全く別種のパーティが開かれたときがある。
飯合肇は、あの晩のことをいまでも忘れることができないという。
「あの日、大京オープンが終わって、初シード入りできたという電話をしたら“祝杯の準備ができているから早く帰ってこい!”っていうんです。みんなで飛行場から直行ですよ」
習志野の家の近くの中華レストランだ。
その個室には、早くもジャンボたちが集まっていた。
待ちきれなかったのだろう。乾杯が終ったあとで、尾崎がたった。

「お前たち、よく聞け。飯合がここまで来れたのは、人一倍の練習とトレーニングだ。人前だからやるのではなく、どんなときにも手を抜かないで必死にやって来たから、ここまで這い上がってきたんだ。メシはここからがスタートだ――」

尾崎の声が響く。
飯合夫人が、ハンカチを目にあてる。
すすり泣く声が聞こえた。
飯合がそれに続いて泣きじゃくってしまう。
いつもの大騒ぎと違う。
この夜は、誰もが飯合の感激にどっぷりひたってしまった。
「泣け! もっと泣いていいんだぞ。男が人前で泣くことは滅多にないんだ。 お前たち若手は、飯合の涙を、しっかりと見ておけ!」
研修生も、誰もみな、胸の奥からこみあげてくるものがあった。
建夫が、父親の実氏に声をかけた。
「親父、尾崎家の生き方を教えてやれ!」と。
実氏は椅子から立って、右の拳を握って大声を出した。

「勝負とは、勝つことである。負けることは死ぬことだ!」
外側からみれば、異様な光景であるに違いない。
全員の男たちが、男泣きをしている。
そして、血気盛んなシュプレヒコールに呼応して叫んでいる。
研修生ひとりひとりが、飯合にお祝いの言葉と、自分は、どう生き抜いていきたいかを語って終わった。
ジャンボ軍団の結束力は、特に、こういう光景に見られる。
貸し借りなしで素直にひとつのことに向かって走って行くときに、この軍団の無邪気な結束力が、かたまる。

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1月24日は、尾崎の誕生日だ。
全員が5000円ずつ出し合い、プレゼントを買った。
車のシートに上に敷くムートンの毛皮だった。
また、寮での合宿中に昼夜の食事をつくってくれるおばさんたちへと、やはりこれも軍団のみんなからお金を集めて、お礼をした。
そういう部分も、ちゃんと気がつく。
「俺にはできないよ。兄貴の若手たちに対する情熱は、単に技術を教えることだけじゃないもの。そのための準備の時間、出資、体力の費やし方??これは凄いよ。兄貴はそれに、うまくできない人間に対しての思いやりっていうのを持っているから」
建夫が、あきれたように言うのも無理はない。
尾崎は、一見、そんな細かいところまで見ていないだろうという部分まで見ている。
食事にしても「おい、食べてるか。これ最高に栄養があるんだぞ。もっと喰えよ。こういうものを食べないからお前らは下半身が弱いんだぞ!」という具合だ。それでいて、わざと見て見ぬふりもする。
「若い連中には、たまには息抜きもいい」
といって、自由時間もたんと与えている。

今年の全米オープンをはじめとして、国内でもジュンクラシックなど数試合で尾崎のキャディを勤めた佐野木一志は、実は、尾崎が甲子園に行ったときに一塁を守っていた人間である。春の選抜に選ばれて決勝までコマを進め、いよいよ大詰めというところで、佐野木は一度、自分のミスで尾崎を窮地に追いやってしまったのである。そして9回裏、最後のファウルフライを捕った男だった。
尾崎との友情は、それからずっと続いているのである。
「あいつは、小学校の頃から絶対に殴り合いのケンカをしなかった。スポーツ選手が大切な身体を、自ら怪我をさせて使いものにならなくするほどバカバカしいものはないと思っていたからね。そして、絶対に、ネをあげないんです。ゴルフでスランプになっていたときでも、決して悪ことは言わなかったんですよ。むしろ前向きというか、いま自分が何をすべきかよくわかっていて、それに集中する気持ちが伝わってくるんです」
研修生たちが尾崎に魅かれているのは、そういう尾崎の怪物的存在感だ。そして、まだよく解っていない部分も、そこである。
「あの子たち、うちの人がどれだけ一生懸命になって毎日のように、いいことを教えているか解っているのかしら……」
ジャンボが研修生たちを叱る風景をよく見ている義子夫人が、何度も同じようなことで叱られていたりすると、思わずそう言ってしまうのだ。
研修生に、ジャンボ軍団の話を聞くと、まず最初に「ボクは、まだ何を言えるというところまで達していませんから……」という。
でも義子夫人の心配は、彼らも充分理解していることなのだ。だから遊びたいという気持ちもおさえて、ただひたすらにボールを打ち、早く一人前になろうと努力しているのだ。
いつだって彼らは、清々しい土のにおいをさせているのだ。
「ジャンボさんは、あれだけドライバーが飛んでいても、まだ飛ばそうとしている。あの意欲、あの気合い、僕には、そこのところがまだわからない。そのうち見えるようになったら僕も、数字的にもきちんといい結果が出せるんじゃないかと思う」
羽川そう言った。
 「兄貴はいつも、俺たちには想像もできないくらい遠い所に目標を置いている。いまはまだ、その通過点だという気がする」
その建夫の表現は、もちろん尾崎本人のことを指しているのだが、同時に、ジャンボ軍団についてもあてはまる。
振り返ってみれば、ジャンボ軍団のはじまりは、尾崎将司と、建夫、直道の兄弟3人だった。弟たちふたりがプロになって徐々に実力をつけはじめた頃から、ジャンボ軍団の素地ができて来た。

ひとつのターニングポイントは、尾崎のスランプだった。
3年間悩んだ。
尾崎は、無駄なこともした。
それと同じくらい勉強もしたのだ。
もともと研究熱心で、ストイックに追求していくタイプなのだ。
尾崎は、それをひとつ残らず書き残している。
そして自分のものをつくり出した。
「兄貴は、嬉しかったんだよ。自分がパイオニアとなって見事に復活したでしょう。その感動をこれから育とうとしている若手に教えてやりたいと思ったんだと思うな」
建夫、直道は、確実にいい成績をあげて、幾度か優勝もするようになった。その間に飯合肇が加わり、研修生がひとり、ふたりと増えていった。自然にプロたちが集まるようになったのである。
ひとつは尾崎のキャラクターと、そういう人が集まってくるだけの技量、理論と実践があっただろう。もうひとつは環境である。尾崎は平気な顔をして、投資を惜しまない。トレーニングジムをつくって、庭を練習場代わりに使えるように整備してしまい、ついにはグリーンまでつくってしまった。
「俺ひとりじゃないんだ。こういう環境があれば、いつだって好きなときに若手たちが練習できるじゃないか。俺たちの職業はプロゴルファー。たとえ真夜中でも、ハッと何か閃いたときに、すぐに外へ出て練習できる環境が必要なんだ」
世間では、尾崎の派手さがよく取り沙汰されているが、建夫、直道、飯合肇のあとに続いて、20人以上の選手たちがいるのだ。彼らがグングンとプロの世界で活躍することになれば、確かに尾崎のいう投資は報われる。
なおかつ、尾崎の長男・智春がいる。
ゴルフを志す少年にとって、これ以上の環境があるだろうか。
もし建夫の言葉通りに、いつも遠い所に目標を置いているジャンボだとしたら、あのスランプのときに自分の復活のことだけでなく息子・智春のことまで、きちんと読んでの投資であり、努力であったといえる。そう思うとジャンボの策略家としての構想は、見事に成功しているといえよう。
いまはまた、さらに遠くまで構想を走らせているのだ。
羽川のいう尾崎のそんな意欲がいったいどこから生まれているのか見当がつかない。
「だらかね“もういいや”と思ってしまう人間は、ジャンボ軍団にはいれないんです。少しでも向上したいと思う人でないと、ついて行けないんですよ」(羽川)
「あそこにいて、必死にやってみんなについていけば、間違いがないって気がする」(金子)
「僕は、いつもジャンボ軍団のみんなに対して“あいつやるな”っていうところを見せていたいですよ」(飯合)

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いま、建夫、直道、飯合というジャンボ軍団の中枢は、もうひとつ大きく羽ばたこうとしている。
 ジャンボ3兄弟……ファンや周囲は何かにつけてそういうくくり方をしてしまう。だが実際には、建夫や直道が成長して行くたびに、ある種のとまどいも待ち受けているのだ。
直道が静岡オープンで初優勝し、その後も札幌とうきゅう、KBCオーガスタと勝って賞金ランキング2位になったときだ。直道はそのとき、こんな風に言っていた。
「いままでは、ふたりの兄貴の陰に隠れてちょこちょことうまくやっていれば良かったのが、こうして2勝すると、自分が表にさらけ出されてしまう。どっちが楽かといえば、やっぱり陰にいたほうがいい。だって小学校のときからずっとそういう状態だったからね。それがポンと外へ出されたときに、逆に、尾崎直道をしっかりとつくらなければと思いましたね」
ジャンボは、そういう直道の気持ちを知ってか知らずか、時を同じくしてこう語っていたのだ。
「もうあいつらは一人前のプロゴルファーなんだよ。建夫は、建夫の年代の感覚を持ち意見を持っている。直道も同じだ。彼らの考え方と俺はとは、違うんだ。でも彼らはそいういう発想で、自分なりにひとり立ちして行くのもいい」
と言っていた。
「ジャンボの統率力、態度、私生活、学ぶ意欲……これはジャンボ軍団という兄貴個人レベルの問題ではなく、誰だって見習うべき点だと思う。心・技・体プラス説得力というのを持ち合わせているんだから??だからトレーニングの内容にしたって、1歩も2歩も先へ行っている。動いているんだ。
それはもちろん兄弟が云々というちっぽけなことではなくなっている。もちろん、そういうくくり方は必要だし、結束力も必要だけれど、これから先の方向づけとしては、まだまだ動いていくね」
建夫は、そういう。
現在、総勢25名のジャンボ軍団??それはこの先どういう方向に進んでいくが予想もつかない。総帥であるジャンボが前へ前へと夢を大きく広げていく限り、他人には予想のつかないほどのノアの方船となって、夢を追い求めていくはずだ。
いまその中で、建夫、直道、飯合の中枢がその四方を固めてそれぞれに進んでいるのかも知れない。
「少なくとも……」
と東聰が、こういった。
「僕たちはともかく、ライバルに対してあちこち目をきょろきょろさせることがないんですよ。このジャンボ軍団の中が、お互い仲間同士でものすごいライバルなんだから」
よく、尾崎のゴルフは、ロマンを追い求めすぎている、といわれる。
しかし、尾崎は、そういう生き方しかできないのだ。
そういう生き方をしていたからこそ40歳にして青春のゴルフをしているのである。ジャンボ軍団は、そんな尾崎のロマンの産物である。
尾崎は、自分の“ノアの方船”をもう出航させてしまっているのだ。
©構成・三田村昌鳳