| 中部銀次郎最後の日本アマ | |
| index | ●本当にピュアなアマチュアが競技から退く時 アマ界の至宝、中部銀次郎が、公式競技からの引退を心秘かに決意した。アマの中のアマとして、独特の雰囲気と厳しいマナーを持つ男。プロもそっと見に訪れる華麗なスウィングは、もうギャラリーの目に触れることはないのだろうか……。1983年日本アマチュアゴルフ選手権 「終わったね、これで……」 最終ホールのティショットを打ち終えて、 中部銀次郎は誰に言うまでもなく、そう呟いた。 小走りにティグラウンドを駆け降りて、フェアウェイに向かって行く。 ボールは、この日の午前のラウンドと、ほぼ同じポジションに飛んで行った。違いは午前の地点よりも10メートルほど先に落ちていることだ。 第2打を3番アイアンで打ちピン右手前から5メートルを2パット。 中部銀次郎は、21回目の出場となる日本アマチュア選手権を、通算303ストローク、30位タイで、終了した。 9月13日。 茨木カントリークラブで行われたこの大会の最終日に、様々な想いをめぐらせてラウンドしていたのかもしれない――。 ちょうど24年前。 1960年のこの大会が、中部にとっては初出場となる。 当時18歳。しかし、彼の強さはすでに日本中に知れ渡っていた。 以後、中部は21回この大会に出たことになる。 70〜73年の3年間、ブランクがあるだけだ。 優勝は、6回。 当たり前のことだが、これを破る人間も、追ってくる人間も、誰もいない。 「1年に1度。同じ大会に何度も勝つというのは、難しいことなんですよ。でも、それを繰り返すことで、自分のゴルフが確立できるのだと思う」 勝率は、2割8分6厘。 最初の10年間では、5割の計算になる。 アマチュアとして獲ったタイトルが、いくつになるのか自分でもはっきり覚えていない。 伝説的に伝わっている中で、かつてプロゴルファーが、彼のゴルフ、プレーを隠れて見に行ったというのもある。 そして、彼は、きっと最後のアマチュアらしい、アマチュア選手。 誰もが、そう評価しているのだ。 今年の日本アマチュア選手権が始まる前に、 「今年が、最後の出場になるかもしれないね」 と、言った。 今年で42歳。 そして"試合"は、年に1回の日本アマチュア選手権しか、この10年近く出ていない。 仕事――つまり日新タンカーの専務をしている関係上、多忙ということもあるし、すでに競技中心で何試合かを費やすという魅力は、彼の頭にない。 「ゴルフが好きだし、まだまだ追求して行きたいと思う。そういう姿勢を持てるのが、本来のアマチュアだと思う。 いまは、スコアが良ければそれでいい。強ければ、全てがその裏にかくされて、強さだけが目立っている。 本来、ゴルフの楽しさというのは、そんなものだけじゃないと思うんだ。 アマチュアとしての姿勢は、技術を磨くということと同時に人間性、知性、教養、つまり一般社会に通用する人間でなければいけないと思う。その上で技を競うところに、アマチュアらしさというのがある。だってそうでしょう。名誉だけなんだから……」 彼のログセである。 初日の10番スタートのとき、「恐くて、仕方がなかった」という。 百戦錬磨の中部が、素直にいった。 「いつもそうだけど、自分を問われるのがゴルフでしょう。あるがままの。いまの自分がどの程度であるかも知っているし、勝つためには、何を、どこまでやらなくてはいけないということも、十分知っているわけです。 素直な気持ちで聞いて欲しいんですけど、こうして一年に1回、日本アマだけに出ているのは、自分と、自分のゴルフに対しての、引き締めだと思う。やはり、試合に出る緊張感って、素晴らしいもの……」 初日、76。 2日目は、78。 中部の技術の底の深さ、技量を知っている者は「信じられないゴルフ」だというほど、いつもと違うゴルフを見せた。 「これも僕なんですよ。普段、やっぱり甘いゴルフをしていることが、いざという時出てしまうんですね。切りかえしがきかない。つまり、気持ちの切り換えがにぶるんです。ボギーを叩くと、あるいは、ミスショットすると、それからスイッチがすぐできない。2日目のラウンドは、その典型。試合から遠ざかっているがゆえの、ラウンドです」 全長6417メートル。パー72。 距離は、タップリとある。 特に、ミドルホールが長い。 ロングアイアンやフェアウェイウッドを使うミドルがかなりある。 飛ばし屋には、有利。 日本アマは、かつてはマッチプレーで行われた。 中部の優勝のいくつかは、マッチである。 「マッチプレーが少なくなっていることで、勝負に対するフィーリングが昔と変わっていますね、いまの選手たちは。試合で戦っているときは、もっと勝負にこだわったし、いい意味で"ライバル意識"が強かったような気がする」 3ラウンド目。つまり3日目の午前、彼は、2オーバーの74で回った。 ここでは、中部らしいゴルフが随所に見ることができた。 それを逐一説明したいがここでは、はぶく。 むしろ、彼の姿勢を伝えることで、それを感じられると思うからだ。 「いつもゴルフから教わることばかりだった。技を磨くということは、同時に、自分を磨くということだと教わった」 例えば、……らしき行為。 つまり紛らわしき行為だ。 ラフにボールが入る。 素振りする。 それは、ボールがあるそのすぐそばでやる。 これは、紛らわしき行為だと中部は、今でも思っている。 「やっぱりゴルフは、すがすがしいほどフェアでやってこそ、素晴らしさが出ると思うんです。だから、相手が"あれっ"と首をかしげたくなるようなことは、やるべきではないんです」 ボールがラフに入ったら、中部は絶対に、ソールを地面につけない。 ライの改善……らしき行為といわれても文句のつけようのないことをしないためでもある。 「つまり、私がそういう中で育って来たからなんでしょう。でも、全体、そうありたいと思いますね」 いつも小気味いいラウンドである。 試合でも変わらない。 最終ラウンドを前にして、中部は、通算12オーバー。 「もうあとがないね」 目標は、まずは20位以内であった。 理由は、一年に一度の切符を手に入れられるからだ。 20位以内に入ると自動的に来年の出場資格が得られる。 一応、そのスコアを300と見ていた。 つまり、最終ラウンドをパープレーで回る必要があったのだ。 インから出て、ハーフで1オーバー。 アウトでひとつ縮めたい。 バーディチャンスのホールがすぐあった。 が、入らず。それを何度か繰り返して、ついに6番でダブルボギー。 ホールアウトしてクラブハウスに向かう中部は、それでもすがすがしい顔をしていた。 「今の自分が全部出た4ラウンドだと思う。80点ですよ。いい面もいくつもあった。悪い面もいくつもあった。ただ残念なことに、4ストローク、多かったということでしょう」 20位以内をこだわるのは、どうしても来年も出場したいと熱望しているからではない。 ただ、そういう切符を持っていることで、へんな表現をすれば、また1年楽しめるのである。 「できればね、こういう緊張感は、45〜46歳ぐらいまであってもいいなって思うんです」 そのための切符だったのだろう。 勝負を競う、戦って行くためのゴルフ。 本来の、姿勢の中で、楽しむゴルフ。そこの間に何らかの差があるとしたら、 「繰り返しのきかないところでしょう、試合でのゴルフは。その緊張感は、説明できないけどやっぱり、いいものですよ」 「これで、終わったね」 中部の呟きに、応援に来た人は、ある種の感傷を覚えたに違いない。 「ほんとうの、ピュアなアマチュアがいなくなったもの……」 これも彼の口グセだ。 今では、プロ予備軍の傾向の強いアマ界である。 もし、このまま中部銀次郎が、公式戦に顔を出さなくなったら、我々は、ピュアなアマチュアを何処で見たらいいのだろう。 「銀ベエ」 仲の良い人々は、中部をそう呼んでいる。 茨木のあるキャディさんは、16年前にここで中部が、華麗な姿で活躍したことを今でも覚えているという。 「ちょっぴり白いものが髪に増えたけど、変わらないわね。ゴルフも、あの姿も……」 試合は、長田敬市と阪田哲男のプレーオフとなった。 6ホール続いた。中部は、それをずっと見て歩いていた。 幾度か、自分の過去とオーバーラップさせるシーンを想い浮かべていたのかもしれない。 「もう、引退ですか?」 そう聞くと、 「アマチュアには、引退という言葉は、ないんだよ」 と、答えが返って来た。 第一線を退くことがあっても確かに、アマチュアは、アマチュアのままである。 残念なことに、来年の日本アマチュア選手権では、彼の姿を見ることができない。 |
| 構成・三田村昌鳳 |