| 中部銀次郎とジャック・ニクラウス | |
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いまはもうなくなってしまったけれど、六本木の交差点から飯倉方面をしばらくいくと、そこにステーキハウス「ロジェ」というレストランがあった。洒落た大きなカウンターがあって、そこで軽く飲むだけの常連客も多かったのだという。当時の日本のトップアマチュアやゴルフ好きの人たちが、しばしばここに集まってはゴルフ談義をしていたらしい。 「中部銀次郎が、アマチュアの競技に復帰する」という話を聞いて、インタビューを申し込んだら「ロジェ」で逢いませんか? という返事がきて訪ねたのが、僕と中部さんとの出逢いのはじめだった。 正直なところ、僕には中部銀次郎という人物が、どういう人柄で、どれだけのキャリアがあるのかピンときていなかった。確かに、中部さんと僕が知り合うずっと以前からアマチュア選手として活躍していた。日本アマチュア選手権に、すでに4勝していたし、日本のアマチュア界を代表する選手で、強いという程度だった。 1972年の終りか、73年の初めのころだったと思う。当時、ゴルフ週刊誌の編集部にいて、もっぱらプロ・トーナメントの取材をしていた僕にとって、アマチュア選手に対する興味は、ほとんどなかった。それまでの和製ビッグスリーと呼ばれた杉本英世、河野高明、安田春雄をはじめとする日本プロゴルフ界の流れが、ジャンボ尾崎や青木功の出現で大きく変わろうとしていたころだった。 もちろん新米記者として、僕は時流に流されていた。毎週トーナメントを追いかけて、観戦記の速報を書く日々が続いていた。 「ロジェ」のドアを開けると、すでに中部さんはカウンターにいた。濃紺のスーツ姿がとても似合っていて、その店にも馴染んでいた。挨拶を手短に済まして、僕は、担当直入にインタビューを始めた。 「なんでアマチュアの試合に復帰する気持ちになったんですか?」 いまから思えば、相手のこともなにも考えず、知識もなく、まあ、よく図々しくいろいろ質問できたと思う。でも、中部銀次郎という人間を知りたかった。 「僕なんて取材しても、面白くないでしょう。記事にならないでしょう」 中部さんは、取材の中で、何度となくこの言葉を発した。そして2時間あまりの取材の最後に「大変申し訳ないんですが、掲載する前にインタビュー記事を見せてくれませんか?」と言った。 その2日後に僕は、中部さんの会社にいき原稿を見せた。すぐに読み終わって「どうも有難う。結構です」と言った。 僕が中部さんに興味を持ったのは、インタビューしている間よりも、会社で逢った2度目の印象だった。コーヒーを飲みながら、中部さんと雑談していた。 「マスコミに対する不信感があって、どうしても僕の中で拭い去れないんですよね」 「え? 不信感ですか。そんなもの捨ててください」 「だって、ホントのこと書いていないじゃないですか」 「それは誤解ですよ。じゃあ、ホントのこと書きましょうよ」 中部さんは、ただ笑っていた。 雑誌にインタビュー記事が掲載されたとき、僕は、中部さんに電話を入れた。 「ありがとう」 それだけの返事だった。 「また、逢いましょうよ」と僕がいうと、 「そうだね」とそっけない返事が返ってきた。 編集部に、中部さんから電話がかかったのは、それからしばらくしてからだった。 「テレビ収録のためにニクラスとゴルフをするんだけど、三田村、一緒に来る?」 「もちろんです!」 早朝、赤坂・溜池で待ち合わせして、NHKが用意した中部さん送迎のハイヤーに便乗した。僕が、初めて中部さんのプレーを見たのは、このときだった。 ……その時、中部さんから聞いたことが、ある意味では、僕が中部銀次郎という人間に強く惹きこまれてしまった出発だったのかも知れない。 中部さんとニクラスのプレーは、対戦とは言うもののエキジビションではなく、番組の中に挿入するひとつだった。NHKは、ニクラスの練習方法やゴルフの考え方、ショットなどを撮影した 中部銀次郎とニクラスは、1960年メリオンで行なわれた世界アマチュア選手権で顔を合わせている。 「当時、まだ僕が18歳の時でした。あの時は、もの凄い迫力でしたね。とにかく鬼気迫るものを感じた、といっても過言ではないですよ」 それから13年ぶりだという。もちろん直接対戦したのは、今回が初めてである。 「13年前と違った点がひとつある。勿論、当時はかなり太っていたという事実はあるが、それ以外にグリップの位置が中に入って来ていることですね。いわゆるベン・ホーガン的な考え方から言えば、現在のニクラスは、やや内側に来ていますよね。ある意味では、年をとったのではないですか、そういった現象は……」 ラウンドは、10番ホールから始まった。この日、風はかなり強いものだった。中部は、左バンカーに入れたが、2オン1パットでバーディ。ニクラスは240ヤード付近から5番アイアンでオン。2パット。最初の3ホール。ニクラスは、必ずしも「いいショット」ではなかった。ボールは、共にヒール気味のショットで打ち出されていた。 そこで二人が会話した。 中部「いまのはインテンショナル・ヒール・ボールですか」 ニクラス「そんなものはないよ」 中部「やはりあなたも人間ですね」 ニクラウス「確かにオレも人間だ(笑い)」 フェアウェイの中にボールは飛んでいるが「やはりミス・ショット」であった。 「ニクラスだって人間なんですよ。当たり前のことですが、人間がゴルフをしているんです」とあとで僕に言った。 それから中部さんは、当時の僕にとっては奇妙な質問をニクラスに浴びせていた。 中部「今日の風について、どう思いますか。単なる風か、そよ風、或いは強風と……」 ニクラス「……」 中部「ゴルファーが、ティグランドでアドレスする時、その人は、何を考えますか。私は、少なくとも4つのことを考えます。人より飛ばしたい、勝ちたい、満足なショットをしたい、曲がっては困る、と……」 ニクラス「……」 外から見ていると、なんだか話がかみ合っていない。それでも二人は、自分たちのゴルフをしながらラウンドしている。 「私は、同じゴルファーとして何らかの、同意を求めたかったんです。でも、それには答えてくれませんでした。技術的に言えば、はるかにニクラスはうまい。また最高であるけれど、昔ほどの凄みがなくなった感じ」だといった。 「これは、確かに大試合ではないし、ニクスが言う通り『テレビのショー』の一部。そのせいかも知れませんが、たぶん、大試合にニクラスが臨んでいる時でも、昔の凄みはないと思います。無いと言うのは、語弊がありますが、本当の強さというのは、凄みを敢えて誇張しない。オレはオレでやっている時は、外面的に凄みがあります。俺は強いんだ、勝つんだという気負いやそういうものが失せて、あるいは、それを自分で押し殺しているか、牙をむき出すことがないぶんだけ、強くなって、それが、勝てる原因になったのではないでしょうか」 ラウンドの内容も、楽に、真ん中へ打って最短距離で「何となく寄って、何となくバーディを取って行く」ものであった。 「これが、ゴルフの極みになると思います。見せかけだけの、カッコいい凄みでは、ダメでしょう。ニクラスを見ているとゴルフは、実に簡単に見えるでしょう。それが凄いんであって、だからこそその領域に達するのが難しいというのがゴルフなんです」 ラウンドの結果は、なんとニクラスが、8アンダー64で回っていた。中部さんは、この日2アンダーだった。 「何となく寄って何となく入れてバーディという連続で、少なくともそこで見ていたギャラリーたちは、なるほど凄い。天下一だ。と思わずにはいないだろう。ところが、意地悪のためではなく、《ベン・ホーガン的なスコアのつけ方》に直すと、どうなのだろうか。つまり、ラフ、バンカーに入ったらマイナス1点、2オンしないとマイナス1点、バーディをとるとプラス1点という具合に……。 私が、あえてニクラスも、《人間》であるといったのは、そこなんです。例えば、アウトの1番ホールで、ニクラスは右のバンカーに入れてしまった。風は、左から右に吹いていました。ニクラスなら、あのバンカーに入れるというのは、大きなミスですよ」 そして中部さんは、 「確かに、ニクラスはプロフェッショナルゴルファーだと思うけど、しかし、純粋なアマチュア精神を、いまだに心の中に抱いているんですよ。そして、それが現在のニクラスを形成していることは間違いないし、そこには、偉大なる品性を感じる。確かにプロではあるが、人間として、また純粋なアマチュアとしてゴルフに対している」と中部さんは、僕に言った。 当時の僕には、理解できないことが多かった。つまり言葉の奥底にどういう意味合いが隠されているのかも、中部さんの真意も解らないまま記事にしたわけである。 この人、不思議……。 その興味が中部銀次郎をもっと知りたいと駆り立てた。中部さんが、31歳のときだった。中部銀次郎の追い求めていたゴルフというゲームが、いったい何なのか。そして、この人の思考回路のすべてを知りたかった。 折に触れ、僕は中部さんと逢うようになった。僕が電話したり、中部さんからかかってきたりして、食事と飲み会をする機会が増えた。僕が中部さんに興味を持ったと同時に、中部さんも僕に興味があったらしい。それは主に僕のゴルフに対するスタンスだった。当時、日本のゴルフ界は、ジャンボ尾崎の出現で大きく変化していた。僕にとってはアマチュアゴルフの世界がよく理解できていなかったということもあった。そんな僕に、アマチュアゴルフを理解して欲しいという気持ちが中部さんにあったのだろう。 ジャック・ニクラスと中部さんは、その後、もう一度対談をしている。1977年の晩秋だったと思う。そのときのことは鮮明に覚えている。ホテル・オークラのスイートルームを訪ねての対談だったが、中部さんは、やや緊張気味だった。 ニクラス ようこそ、ミスター・ナカベ。あのとき以来だね。横浜CCで…。 中部 ええ。もう4年ぐらい前になりますかね。あなたのゴルフが素晴らしかったんで…。 ニクラス いや、君も良いプレーをしていたじゃないか。 中部 とんでもないですよ。私は、あなたに関して、いちばん印象深いことがあるんです。もうかなり古い話になりますが、1960年に、私は日本代表のひとりとして、世界アマに参加したんです。米国のメリオンGCで行なわれたときですが。そのとき、私は惨たんたるスコアで、早い時間にホール・アウトしたんです。確か最終日だったと思うんですが、あなたと米国チームは、トップを走っていて、私は18番グリーンに見に行ったんです。1メートル強につけていたあなたが、そこで3パットしたんです。で《ああ、ニクラスもそんなものか》ってね(笑)。内心思っていたんですよ。ところが、スコア見てびっくりしちゃってね。66で上がったでしょう。もう私たちとは全然違うって感じましたよ。当時、あなたが20歳、私が18歳で、感受性が強かったから(笑)。あれから私の人生が変わっちゃったんですよ。 ニクラス (笑)そうだったんですか。 中部 そのとき、ボビー・ジョーンズとあなたのサインをメリオンGCのコースレイアウト・シートに書いてもらって、今も大切にしているんです。 ニクラス それはどうも。もう古い話だかね。18年前? お互いに年をとったね(笑)。 ……と、ここまでは和気藹々の会話だった。それから中部さんは「今日は、あなたにいろいろぶしつけな話を聞きたいんですが――」と言い始めた。 中部 まず聞きたいことは、すでに長い間世界一の座を守って君臨して、あなた自身が大変満足していると思われるだけの実績も残して来た。と、そういった立場に長い間居続けていると、たいがい、何か目標を失ってしまうようなことが何回かあったのではないかと思うんです。 それでもなおかつ、こうしてトップの座を維持していられる。それが不思議でならない。その何故、どういったことでキープして来ているのかをまず聞きたいですね。 ニクラス うーん。それは、ディザイヤー(欲望)だね。もっと勝つこと、もっと偉大になること、その目標に常につき進んで行きたいという欲望。最後に残るのはこれしかないと思う。何かの欲望、目標っていうのは、常に自分より一歩前と言うか、手が届かないというか。そんなわけだから、試合に出る場合は、出るための万全な準備をしている。大切にね。つまり、フィジカル(肉体的)なものとメンタル(心)の準備をね。両方ともいいコンディションでプレーできるようにね。これは、その試合直前に調整するといったことでは決してダメだ。1年間を通して、そのためのスケジュールづくりをすることで、自分の力をフルに発揮できるように心がけている。 中部 でも、ゲームだけではなく、ビジネスなどで非常に忙しいと、自分が納得のいく準備ができないこともあると思うんですが。 ニクラス ときどきある。でも、4月のマスターズから8月の全米プロまでの間を中心にまずスケジュールを組んで行くわけだけれど、その期間は絶対に私以外の人間の手を入れさせない。それにビジネス面もほとんど除いてある。 中部 どういった組み方で、どういう調整の仕方を? ニクラス これだけは、あなたでも言えない。トップ・シークレットとなっているから。 中部 そうですか……。それは残念です。 でも、そうやって考えて行くと、スケジュールの面ひとつにしても、自分を窮屈にしてしまうんじゃないでしょうか。 ニクラス うーん。質問の答えにはならないと思うが……私は、1959年ぐらいから、常にそういった環境に置かれ、常に私と一緒についているんで……多少はそういったことを感じなくはないが……。 中部 では、今までに、練習が十分でなかったり、調整に失敗して、試合に出るときに勝てないんじゃないかと思ったことは? ニクラス 正直言って、ある。逆に準備が万全であっても勝てないこともあるし……。だからと言って(スケジュールの)パターンを崩すのでなく、やはり、常に自分の力がパーフェクトに出せるようにあるパターン通りに組んで準備している。 中部 ゴルフの場合、勝てる確率というのは、非常に少ないと思うんです。いろいろな条件がすべて良くても勝てないこともあれば、逆もある。あなたの場合、長い間ずっと見ていると非常にいい成績を残していると思うんですが、優勝できる確率は、どのぐらいだと思いますか。 ニクラス うーん。そうだね。10パーセントちょっとといったところじゃないかなあ…。今までの私の数字が、そのまま確率を表わしていると思う。(当時およそ2割3厘。3位以内4割4分の確率だった) 中部 そのパーセンテージは、自分が満足のいくものですか、それとも。 ニクラス 必ずしも十分満足しているというものではないが……他の人よりは、いいのではないかと思っている。 中部 なるほど、そうですか。では、自分が満足したプレーをして勝ったときと余り満足のいくものではなく、何となく勝ってしまったということがあると思うんですが……。 ニクラス そうだね(ちょっと考える)難しい問題だけど、自分が納得しないまま勝ってしまったものはいっぱいあります。例えば、66年のマスターズが私の記憶に残っているよ――。 中部 他は、全部満足している優勝だったわけですか――。 ニクラウス そう。あとひとつやふたつはあるかも知れないがね……。 中部 素晴らしいですね。なかなか自分の納得のいくゲームをして、しかも勝つということは、できないと思うんです。 ニクラス そうだね。 中部さんと僕は、このニクラスとの対談までの、およそ4年間、多い年は、ほぼ2日に1度は逢っていた。銀座のバーのカウンターで待ち合わせして、そこで4時間も過ごすこともあったし、その店を皮切りに、最後は青山、原宿などまで足を伸ばして、遅いときは早朝4時過ぎという時間を費やしていた。湯原信光や坂田哲男、倉本昌弘、内藤正幸というゴルファーと出逢ったのもその頃だった。逢えば、ゴルフの話ばかりだった。 その度ごとに「君は、プロのゴルフに毒されている」と言い「マスコミが日本のゴルフを悪くした」と言われ続けた。 逢う機会が増えたきっかけは、僕が中部さんの連載記事を始めたいという一言だった。 中部さんは「僕の記事なんて書いても売れないよ」と何度も断っていた。そして、最後は「僕も君のことをよく知らないし、君も僕のことをよく知らない。知らない者同士が話しても、いい記事にならないから、まずは飲もうや」ということがきっかけで、中部さんと逢うことが日課になってしまったのである。 実は、ニクラスにぶつけた質問は、その4年間に僕が中部さんにぶつけた質問でもあった。僕は、プロのトーナメントで選手たちが「この試合、狙っていました」とよく優勝インタビューで言っていた言葉をそのまま中部さんにぶつけて「狙って勝てるんだから、中部さんも、狙って勝ってみて下さい」と言ったのがきっかけだった。 「そんなのウソ。狙って勝てるなんてことはないんです。優勝宣言して勝てるなんてできない。勝つということは、そんなに簡単じゃないんだから。それはプロゴルファーのリップサービスにしか過ぎない」 「そんなことないでしょう」 「君は、だからゴルフをよく知らない」 こういう会話は、しばしば繰り返された。 あるとき中部さんが稲尾和久さんを連れて、いつものバーにやってきた。稲尾さんは、西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)黄金時代の主力投手として活躍。1958年日本シリーズ・対読売ジャイアンツ戦では3連敗後に稲尾の4連投で4連勝した。「神様仏様稲尾様」と言われた伝説の人物である。 「サイちゃん(稲尾さんの愛称)、こいつに言ってやってよ」 中部さんは、バーに来てまもなく稲尾さんを僕に紹介すると同時に、そういい始めた。そういわれてキョトンとしたのは、稲尾さんのほうである。話の前後が理解できていないのは当たり前だ。で、僕が稲尾さんに説明した。狙って勝てる……という基本テーマ。 「稲生さん、3振とろうと思って、とれたことがありますか?」 「とりたいとは思うけど、とろうと思ってとれるものじゃないですから」 「そうなんですか?」 「私がね、変化球を投げて、思い通りにいったのは、200勝を達成したあと、引退間際だったんですよ。あの当時、精神的には充実していた。肉体的には、衰えてきましたけどね。投げて、あー、これが変化球だと」 「じゃあ、引退するときに未練はありましたか?」 「未練、たらたらですよ」 「……」 「な、お前、わかっただろ」と中部さんが僕に言った。解るわけがない。極めるということが、どれほどなのか、そのときまったく解らなかったわけだから。 「いまから、ワンちゃんと会うんだけど、よかったら一緒についてくる?」 稲尾さんが言った。ワンちゃん……王貞治さんのことだった。中部さん、稲尾さん、そして僕は、夜の六本木に行った。その店は、巨人軍の選手たちが多く集まる店だった。そこに入るといちばん奥に、王さんが仲間たちといた。稲生さんが挨拶をして、 「ワンちゃん。すまないけど彼が少し質問したいらしいから、答えてあげてよ」 王さんは快諾してくれた。 「2つ質問があります」 「どうぞ、なんなりと聞いて下さい」 「王さんは、バッターボックスに入って、ホームランを打とうと思って、打てたことがありますか?」 「一度もありません。もし打とうと思って打てることがあったなら、僕は2000本のホームランを打てていますよ」 「では、バッターボックスに入って、何を考えているんですか?」 「格好良くいえば、無です……でも、そうはいきません。ですから、デッドボールでもいいから塁に出たいと思っています」 「もうひとつ。756号のホームランを打ったとき、ダイヤモンドを回っている王さんの表情が、凄く哀しそうに見えたんですけど、どうしてですか?」 「そう見えましたか……。照れなんです。だってあのホームランにしても、たまたま入っちゃったんです」 その道を極めていこうとしている人、そして第一人者として実績を積んでいる人、その人たちは、真摯で、常にその先を求めている。現状で満足していない。そして、不安や畏怖の念を持ちながら、向上心を惜しまない。 再びニクラスとの対談を続けよう。 中部 ところで、あなたも昔は、アマチュアでプレーしていたわけなんですけどプロに転向してからと、その60年までのアマチュア時代と、領域は変化したわけですが、実際、あなた自身の中で、何か今までに変化は、ありましたか? ニクラス 経験を積んだことだけしかない。 中部 うん。そうでしょう。(といって自分で納得する)そういった意味で、あなたの場合、常に、今でも、アマチュア的というか、アマチュア精神の持ち主だと私は、確信していたんですよ。 ニクラス 確かに、あなたの言う通りかも知れない。私は、常に、ゴルフを商売として考えて参加して来たことは、一度もない。ただ、いいゲームをするということだけを考えてトーナメントに参加して来た。これをやれば、いくら儲かるからといった考えは、全くなかったよ。 中部 思うに、あなたとベン・ホーガンは、プロ的でない面を多く持っていることで似ていると思うんですが。 ニクラス 他のプロがどう考えているか知らないけれど、私と彼が似ているというのは、おそらく、スケジュールを組んで、その通りにゲームをすすめるといったことだと思う。十分に準備をして、ゲームを自分のペースでやるといったことだ。 中部 話は変わりますが、スウィングのときにいちばん大切にしている点は何ですか。 ニクラス ただひとつだけです。ボールが自分の思うように飛んで行くように……。そう、自分のイメージと同じようにボールが飛んで行くかということだ。 中部 そうですね。結局、最後は、そこになってしまうんですね。 ニクラス そう。非常にシンプルなことだね。でも、非常に難しい。 中部 例えば、同じクラブで、10発打ったとしますね。その10発全部が、イメージと同じように飛んで行く。と、11発目も同じイメージに飛んで行くかどうかという不安はありませんか。 ニクラス 私の場合、10発同じように打てたら、11発目も同じように打てる自信がある。 中部 凄いなあ。 ニクラス それはどうしてかというと、何故、10発そういったショットが生まれたかというプロセスに重点を置いているからだ。 つまり、10発打った球が、どうしてそこへ飛んで行ったかを考えるんだ。だから11発目もそこへ行くだろうと――。 中部 なるほどね。では、あなたが、いま、自分で想定しているパーフェクトなショットというものがあるとすると、それに比べて、いまの自分のショットの完成度は、どのぐらいだと思っているんですか。 ニクラス それは非常に難しい質問だ 中部 では、ドライバーからパットまでを考えて、その中ですでに完成されているか、それに近いものは、いくつありますか。 ニクラス いや。それは、どんなジャンルでも、やはり、自分の理想に得難いものへ到達するということは、なかなかできるものではないと思う。 中部 では、やはりあなたの場合も……。 ニクラス そうだ――。まだまだ、はるか彼方に、理想があるということだね。 中部 なるほど。そうですか。あなたの話を聞いていると何となく、もうそろそろ限界に近づいて来ているというか、そんな引退という言葉が響いて来るわけですが、やはり、私たちにとっては、いつまでも長く続けて欲しいと思います。しかし、あなたのそういった気持ちは私には、凄く良くわかるような気がするんです。勝ちたい、という意欲、欲望を失ってしまうというのも、低いレベルのそれではなく、ある頂点を極めた人がそのあとにやって来るものだということ。そして、それは、他人には決して解せないものであるということなど……。 あなたのように、そこまで頂点を登りつめるという、その間のプロセスなんですけど、このことについては、他人には決して説明できないと思うんです。しかし、例えば、オリジナルなところで――あなたとA・パーマー、S・スニードとB・ホーガン……タイプは、ふたつあると思うんです。動物的な感覚を生まれながらにもっている人と、綿密な計算で動く人……。 ニクラス どっちがどうだとは、私には答えられないけど……確かにホーガンは、メカニカルだし、スニードは、感覚的で……。でも思うに、やはり、どちらも非常に重要なことだし、そのふたつとも兼ね備えていなければ、あれだけ偉大な成績は残せないと思う。要は、自分の目標をどこに置くか、そして、間違わずに進んで行くだけの精神力があるか、肉体がどうか、そのための自己鍛錬ができるかということなんだと思う。 中部 上を見たら切りがない。でも、その上に向かって行くということでしょうね。結局、独りしかいないんですからね。残る最後は、自分のエゴとの戦いですかね。 ニクラスとの対談は、もっと続いた。ニクラスとの対談のときのメモを、いまになって読み返してみて解ったことだが、中部さんは僕に大きなテーマを与えてくれたのだと思う。ゴルフする心……中部さん流の言葉だとゴルフィング。勝つことだけがすべてではなく、そこに向かうプロセスで何を考えるべきかということがゴルフゲームが人間に問いかけていることだった。 |
| 構成・三田村昌鳳 書斎のゴルフ 2005年2月23日号 |