(1)
ちょうど中学1年の頃のことだったろうか。私は、兄と一緒によくゴルフをしていた。ある日、門司のゴルフ場でのことだった。
6番ホールで私は、右の山の上に打ち込んでしまった。そこは、30センチほどの深いラフで、ボールがやっと見えるというようなところだった。私は、1回目を空振りしてしまった。そして、何もなかったように、もう一度打ち直したのである。そのホールを上がって次のホールへ行くとき、兄貴は、私に「お前は、6だな」と言った。
ギクッとした。でも、私は、いいえ違います“5”ですとは、ついに言えなかった。
――この事件があって以来、勿論私は、二度とこういったマネをしなくなったのは当然のこと、それ以上に、私は自分自身に厳しくあろうと思った。つまり、これは、単に空振りをゴマ化そうとしたことだけの問題ではないのだ。兄貴がいいたかったのもそうである。空振りをゴマ化すようなゴルフをするのなら、ゴルフをする意味が全くなくなってしまう。それなら、最初からプレーをしなければいい。ゴルフをする態度の問題なのであった。そのために、ルールがあるのである。
ルールというものが、何のためにあるのか――。アマチュアとしてゴルフをする限り、よりルールという問題、ゴルフの本質の本物を追及しなければいけないのではないだろうか。
アマチュアが、ルールにルーズであったり、マナー、エチケットといった基本的なことに対して、余りにもラフであったら、一体、何のためにゴルフをするのだろう。
ルールの、いや、ゴルフをするに当たっての大前提は、何か。
“ティ・グラウンドからそのホールをホール・アウトするまで、あるがままの状態でボールを打て”というのが、ルールである。
そして、ルールは、自分自身にとって“最低限”の救済であるということを決して忘れてはいけない。ともすると、ルールが“最大限”の救済と考えている人が多い。それは、アマチュアの場合、私は、絶対に考えてはいけないことだと思う。ルールを利用して、自分を有利に有利にしていってしまったら、ゴルフのコンペティションをする意味がなくなってしまうし、ゴルフの本質を全面的にくつがえさなければならないことになってしまうのであろう。
“最低限”の救済をして“最大限”の救済をしてはいけないのが、アマチュアリズムではないだろうか。
どんな状況に置かれても、あるがままに打て。そも、ゴルフは、そこから出発しているのである。そして、どんな状況に置かれても、あるがままの状態で打つ勉強をしなければならないのである。
そういったことを“最高”に守って勝ってこそ、アマチュアのチャンピオンと言えるのではないだろうか。自分に最高に不利な条件でプレーができて勝てれば、こんなに素晴らしいことはないだろうか。
――私は、悲観論者ではない。が、どうしても悲観的になってしまう。そして、ゴルフの本質をはき違えて解釈し、そんな中でゴルフが続けられている現状を、悲しまないでいられない。
例えば、雨の降る日に、カジュアル・ウォーターがあるかどうか。フェアウェイ全部がカジュアル・ウォーターにできるし、逆に、全部そうではない。水たまりに入ってしまったから、好きな方へ持って行けばいい。あえて言うならそれは間違いである。どんな状況だっていいではないか。それをアピールして得をしたと思う人。しないで損をしたと思う人。しないでいいと思う人。して当然だと思う人。様々かも知れないが、損も得もない。あるがままの状態で打って当たり前なのだ。
それがどういうことか、最近では、利用できるものは、何でも利用してやろう。ラフの中に入って、アドレスでフェースをグイッとボールの後方におしつけ、それで打っても何とも思わない。ちょっとぬかるみに入れば、すぐにカジュアル・ウォーター……と、数えあげれば切りがない。
そんなことを、当人も、そして同伴競技者も平気で許している。いや、プライベート・コンペだから……これはない。それがどんなコンペティションであろうが、大競技であろうが、同じゴルフで、同じルールなのである。
(2)
優勝して、カップの重みが、いまはないような気がする。これは、単にノスタルジアで昔は、良かったと思っているのではない。
アマチュアの大競技でも同じである。アマチュアの競技にあるものは、金ではなく、名誉である。ところが、そんなただひとつの名誉を求めるために、平気で名誉の価値を下げてしまうようなことを自分たちでどんどんしてしまっているのである。
今現在、そんな中で権威ある試合ができる環境にあるかどうか。私には、それがなくなって来ているように思えるのである。
アマチュアリズム。私は、これが刻一刻と低下して行く現状を、悲しくてみていられないような気がする。
ルールにしてもそうである。ルールを完全に熟知することはなかなか難しい。がしかし、ルールを知って、判例を知って、しかも競技委員にあおいで処理するべきである。そして、そのときでも、決して自分に有利な方向に考えないで、有利に解釈しないであおぐべきであろう。
自分に最高に不利な条件でプレーし、きれいに勝ってこそ“名誉ある優勝カップ”が手元に入って来るのではないだろうか。そんなのはどうでもいい。何が何でも勝てばいいんだ。ルールを自分に有利な方向に“最大限”に利用できるものは、利用して、プロセスなんて何でもいい、とにかく結果的に勝てばいいんだ。
――果たして、こんなことで、アマチュアに残されている“名誉”あるトロフィなど受けられるものなのだろうか。現在は、単に何でもコマーシャルリズム化されて来て、ゴルフの本質が全くくい違ってしまい、しかもそんな環境の中で、軽い優勝カップになってしまったら、もう言わずもがなではないだろうか。
