(1)
アドレスから(クラブ・ヘッドが動き始めてから)インパクトまで、通常1秒かかる。フィニッシュまでだと1.5秒から2秒ほど。そのインパクトまでの1秒間が、ミス・ショットしたときには、0.7〜0.8秒以下になる、と言う。
この時間的事実については、実際私自身でテストしたわけではないから、確信は持てないが、少なくとも、ナイス・ショットとミス・ショットでは、0.3〜0.2秒の違いがあるわけだ。では、一体、誰がこの0.3〜0.2秒の違いについて正確にチェックできるであろうか。
もうひとつ言うなら、10回状況の違う場所(フラット、左足下がり、上がり、前下がり、上がりなど)でアドレスして、一体、何回あなたは、うまく立てるでしょうか。自信が8で不安が2? 10回のうち何パーセントになるか、やってみた場合、おそらく確率の低いものになると思う。
――こうして、0.2〜0.3秒の違いなどを考えた場合、余りにも、アドレスだけにかかわらず、誰もが“1秒間のセンチ、ミリミリ”にこだわり過ぎて失敗している人が多いように思われて来るのだ。
スウィング中には、誰もが考える余裕など、あるわけないのである。恐いから早く打つのであって、その問題に関しては、すでにそれ以上分析できないものなのかも知れない。
では、アドレスについて、すでに自分のボールの位置に立ってから何かを考えるというのでは、遅いのだ。
つまり、そうした場面で問題になって来るのは、すでに、そこにひとたび立った瞬間で決まってしまうということなのである。
いつだったか、私がテレビの解説をしたことがある。ある人がボールを打って、ある状況に落ちた。その人が、そのボールに向かって歩いて来るときに、私は「あっ、これはダフリますよ」と言った。
案の定、その人はダフってしまったのである。これは、私個人だけがそういったことを予想できるというのではない。誰だって、一般的に“何かが起こりそう”とか、特にパッティングに於いては“入りそう”“入らない”などは、アドレスしている時点で“何となく”わかると思う。
つまり、その何となくわかるという中には、その場だけの現象面だけでなく、その人の背景を見て、そしてその一場面を加え、その本人を見合わせた場合、どうしてもそうなる(わかる)結論が出て来るのである。
アドレスの問題について、私は、単にアドレス自体をベストにもっていくということだけでなく、そういった全体的なものからアドレスが決まってしまうのだということを知って欲しいのだ。
(2)
ティ・ショットをして、自分の打ったボールがラフに入ってしまった。いや、自分の打ったボールが、どこにどういう風に飛んで、どこに落ちたか。実際、自分のボールを、最後の最後まではっきりと見て、自分自身でどこに落ちているかを見ている人がいるだろうか。
“あっ、曲がった。ラフだ。いやになっちゃうな……”
で、“キャディさん。僕のボール、何処へ行った?”
こんな会話をしているうちは、絶対といって、うまくはならない。それがミス・ショットでラフに入っても、頭に来る前に、もっと現実を直視してみなければならないのだ。18ホールをプレーして、自分のボールが、いい場所に落ちるところを何回見れるだろうか。悪い所に行って当然とも思わなければいけない。
そして、考えるのである。そこから次のショットを打つまでに。そして、そのボールの落ちている場所に行ったときは、すでに、瞬間的に立ち方についての判断力を働かせるのである。そして、いい立ち方をするべく努力するのである。そして、アドレスをする――。それまでで、次のショットが、どんなものになるかは、すべて決まってしまうと言っていい。そのときに、イヤだなと思いながら打って、おそらくいい結果は得られないだろうし考えがまとまらないで打っても同じである。そんな光景は、外(自分以外)から見ても、非常によくわかるものだ。
――こう考えてみると、ゴルフが技術だけでなく、単にショットをするだけでなく、18ホールを、いや、朝、家から出発して、車の中、電車の中、そしてコースについての練習から……そんなすべての動きの中に、ゴルフがあるのだ。スコアがあるのだ、と思っても、何ら不思議はなくなってくるのである。
歩き方もそうであるし、何もかもが、スコアを組み立てるものになってくる。
だから、私は、しつこいぐらいで技術論をいくら語っても無意味に近いものであると言っているのである。そんなことよりも、たくさんゴルフに必要なものというのは、あるということを言いたいのである。もっと極端に言えば、と言うより当然であると思うが、ゴルフをする前夜からそれは言えるだろう。明日は、ゴルフだ。と言うだけで、よし、いいスコアで回ってやろうと早く寝る。逆に、なかなか眠れない……など、いつもの自分のペースと全く違うことを平気でやってしまう。それが、もう“いつもの”自分を出せなくなってくる原因なのである。
平常心に自分を置いておくこと。これが大切で、実に難しいことなのだ。
私は、禅の世界については、ほとんど知らないが、おそらく、禅の世界の中にも、ゴルフをする上に於いての大切なものがたくさんあるような気がするし、アドレスをして、テーク・バックする瞬間の、言いようのない感覚は、おそらく、その禅の世界の何かにつながるだろうと思われるのである。
ただ単にボールを打つ作業。単純な作業ではあるが、そこには計り知れぬ大きなものが、かくされているのであろう。
さて、アドレスについて、私はもう何も言うことはない。先週と今回。そして以前にも書いて来たことを考えて、自分が、十分納得の行くアドレスをつくるべく努力して欲しいと思う。何故なら、アドレスが、ショットを決めて行く上に、100パーセント近い要素をもっているのだから――。
