中部銀次郎

自分のコップに水を注ぐ

index

(1)

こうして、私の経験を通して、ゴルフについて、技術や精神的なことを書いて来た。特に精神面では、単に私個人ばかりでなく、そしてゴルフだけの世界ではなく、プロ野球の稲尾さんや王さんなどの意見を加えて書いて来た。もちろん、これが王さんでなくても同じ答えであったと思う。つまり、ひとつのことを追求して行く過程、そして、道を極め、更に進もうという姿勢、その根底に流れる哲学と言ったものは、同じなのであった。そして、そこにいったい何が流れているのか。どういう土台で、できあがって行くのかということについても、書いた。技術面でも同じである。

技術では“基本”がすべてといっていい。この基本をないがしろにすることは、技術の根底が、最初から崩れて、決して成功への道は歩めないのである。

基本を完全にマスターし、自分のものになっているかどうかで決まってくる。ただ、そう書くといちばん間違い易いのが“基本”というものの解釈ではないかと思う。最初からはき違えてしまっていては、いくらやっても実らないものだ。また、基本を忘れてしまって、すぐに高度な技術、〇〇打法といったものを取り入れようとしても、土台のない家を建てようとするのと同じ理論なのである。

今まで、私は、全く基本的な問題をずっと書いて来たつもりである。これをいかに自分の中に取り入れてモノにして行くかである。

さて、このあいだ担当記者が、元巨人軍監督だった川上哲治氏から聞いて来た話を書いてみたい。やはり、ここでも同じ答えがかえって来たのだが、その中のひとつで、こういうことを言っていたという。

「人間の技量というものは、どういうものなのか。そして、今自分がしなければならないことは……。そして、どうすれば道を極めることができるのか」などという問題である。

「人間のもつ技量、器というものは、人によって大小がある。例えば、私がこの小さなコップだとする。あなたが、大きなコップだとする。コップ自体の大きさは違う。だからと言って、私が、あなたのような大きなコップになれるわけではない。そんな高望みは、できっこないしやってはいけないことなのだ。

では、何が、いったい必要なのだ。どうすれば極めることができるかという問題である。答えは、実に簡単なのだ。私は、私自身のコップ(自分自身の器)の中に水を注いで行くしかない。たんねんに水を注いで行くわけですよ。水を注がなければ、コップはいっぱいになりませんしね。水は、コップの下からだんだん上に来るわけでしょう。下が、からっぽで、上だけ水を満たすことなんか、誰もできるわけはない。

そうして、たんねんに注いだ水が、コップにあふれるまで、そう、ある極めを見つけるとしたら、そのまさにコップからあふれ出ようとする、あの表面じゃないかな。王は、もうほおっておいても、その域に達している。

まず、自分の器に水をそそぐことしかない」

(2)

そして、話は、こう続くのである。

「私は、現役中に2000本以上ものヒットを打って来た。しかし、ただの1本も、同じところへ、同じ打ち方ができたことがない。その1本1本、これがみんな違った種類のものなんだな。

今でこそ、思い残すことなく全部やったという実感はある。しかし、現役中(つまりプレー中)満足感なんか、一度もなかった。もし、どこかで満足していたら、そのとき、その場所で私は終わっていたでしょう。それは苦しいですよ。挫折と苦しみの毎日といっていいですね。でも、それを乗り越えなくては、何もならないし、何もできない」

川上さんばかりでなく、ひとつの道を極めた人は、みな同じであろう。

私は、この川上さんの話を聞いたとき全く同感であったし、実際、私は川上さんには、一度もおめにかかったことはないが、おそらく酒をひと晩中飲みながら話をしても、終わらないだろう。いや、ひょっとしたら、何も話をする必要もないかも知れない。

――ちょうど1年ほど前の話である。この雑誌の企画で、アメリカのトップ・アマチュアと言われるビニー・ジャイルスと対談した。名古屋の中日クラウンズでのことである。私は、その日、彼のゴルフを見た(と言っても、ほんのちょっとだが)。で、いよいよ対談をする時間がやって来た。私は、彼のゴルフを見て、思った。だから「この対談、やってもしょうがないよ」と担当記者に言った。

何故かという理由は、簡単である。話にならないからである。対談にならないのだ。彼のことが、それにあたいしないというのではない。全く逆である。同じような人間(しかもアマ同士で、アマチュアとして最後まで生きている)だから話す必要がないのである。話さなくても言葉を交わさなくてもわかるのだ。

対談は、なんとか終わった。しつような担当記者のクドキに落ちたと言っていいだろう。でも、実際、話はどこまで読者にわかってくれたかは疑問だった。何故なら、かなり飛躍していたと思うからである。これは、私たち(私とジャイルス)の特権的な意識を言っているのではない。こういうことが、実際にあるということを言いたいのだ。

心から、私は、彼やそのほか川上さんとか王さんとめぐり逢えてよかったと思う。同族なのである。しかし、同種ではない。そして、この同族で異種の人間たちは、一緒に酒を飲むことはあっても、おそらく、スクラムを組んで……といったことはないだろうし、実に言い方はおかしいが、マイ・ウェイなのである。

ただ、その人のプレー、人を見ることによって、胸にジーンとくるものは、たくさんあるだろう。また、王さんの話になってしまうが、確かに目指すはホームランの世界記録であると思うが、おそらく、そんなことよりも、まず、自分が打たなければいけない、その1球に全神経をめぐらせていることだろう。そして、飛んで来るボールの“縫いめ”を見て打つことだけしか考えていないだろう。だからこそ、ホームランが出、世界記録が出るのではないだろうか――。