(1)
ある日のことだった。明日がゴルフということで久しぶりに練習場へ出かけてみた。チェックするためである。終わって家に帰ると、くだんの記者から電話があり、これから来るという。別にこれと言った用件は、ないらしい。
彼が、私の家に来ても、私は、何となく落ち着かなかった。練習で、もうひとつスウィングが、すっきりしていなかったからである。部屋にバッグを持ち出しては、アドレスをして、何回も不明瞭な個所を考えていたのである。そうこうしているうちに私は、ひとつ気がついた。
「あっ、ひざをもう少し折らなくてはいけなかったんだ」と。
で、バッグに中にある1枚の紙片を取り出して、彼からペンを借りた。
「中部さん、何してるんですか」
「いや、ちょっとメモしてるんだ」
「何を?」
「ひとつ思い出したからね。書き加えているんだよ」
「え!」
と、彼は、驚いてメモをのぞきに来たのだ。
「へーえ。中部さんがね。こんなことしてるんですか」
この野郎、バカにしやがって。と内心は思ったけど言わずに「あたりまえだ」と答えたのである。
彼は、一所懸命そのメモを見ていた。
「本当は、当然のことなんですね」と答えていた。
――そのとき、私のメモには、こんなことを書いていた。
“右グリップをスクェアに”
“背骨をそらす”
“左肘を下へ向け、少々”
“アドレス、右肘に注意”
“アゴを少し出し、その下で打つ”
“スウィング・スピードをゆっくり、特にインパクト”
そして“膝を十分折る”
単なる走り書きで、私にだけわかるメモである。これだけ誰かが見れば、誤解を招くかも知れないし、どういうとき、どこで、何故ということは、勿論書いていない。
そして、あくまでも“当然”のことで片づけられるものも多い。
私が、こんなメモを必ずバッグの中に入れて、スタート前にそのメモを取り出して読みかえすことを始めたのは、十数年前からである。高校の終わり頃だったろうか。
何故か。例えば、プレーするとき、やはり気持ちよく打ちたい。できる限りまっすぐ飛ぶほうがいいわけだ。だったらそのために何をすべきかが出て来る。何度となく練習を重ね、調整してその条件が出たとする。でも、それを感覚の中だけで残すほど不明瞭なものはないと私は信じている。毎日々々、毎回々々、ボールの当たる感触というのは違ってくるし、いわゆるフィーリングの問題である。だがこのフィーリングというものほど、あいまいなものはない。毎日、刻一刻と自分の中は身心ともに変化するものだし、酒を飲んだ翌日などは、明らかに違う。昨日、飲みすぎたからで全部片づけてしまったら、それこそ言い訳ばかり先に立って、うまくなれる要素は消されてしまう。
(2)
では、何でもメモしておいたらどうか。例えば、スコアの差がその日によって激しいとする。状況をメモする。どこが、どうなったときに、どうか。周期とかパターンが生まれてくるかも知れない。メモしておけば、どうすればいいかわかるはずである。
それを、単に自分の感覚の中でとらえたつもりでも、ほとんどとらえていないことが多いのである。それこそ、フィーリング的には保つことができても、作為的には保てない。じゃ、両面から確かなポジションをとっておけばいいのだ。そこでメモるわけである。
波のあるゴルフ。これこそチェックすれば直せるものを、そういった部分を全くチェックせずにいるからである。
――これは、私の場合に限る(かも知れない)が、およそ10のチェック・ポイントをメモしてある。メモしては、捨て、またメモをして、何枚の紙片をつくっただろうか。
◎背すじをのばせ。腰骨、ベルトの下。
これは、アドレスのときである。いわゆるヘッピリ腰のようにする。こうすると私にとって、背骨がきちんとして、そこを軸に回転運動がスムーズになるからだ。
◎ヒザをまげる。
これもアドレスである。地面に両足がピタリとついて、安定感がある。
◎左ヒジを下に向ける。
これもアドレスである。私は、ちょっと猿腕気味である。それに、一時、スライス、フック両方が出て困っていたときがあった。ちょうどメモを始めた頃だ。で、いわゆるキメ球が欲しくて、絶対にフックが出ないようにと思ってやってみた。私にとっては、意外に効果があった。そして、こうすることによって、もっといい“副産物”が出て来た。
何かというと、左ひじを下向きにすることによって、左グリップが限度以上にフックにならずスクェアな状態が保てるようになったからだ。これは、グリップをつくるときには、絶対だった。
まだチェックポイントは、ある。
◎右腰を動かすな。これは、テークバックで腰が右にスウェーしないように注意するメモ。
両ひじが下向きで8対2で力の配分をとる気持ちで構える、右手は、単にそえるつもり。
この解説は、次号にする。(今号では、行数が残り少なくなってしまったので)
――これらチェック・ポイントは、基本的なことであり、そのほとんどがアドレス時でのことである。以前にも私が書いたことがあったが、すでに“動き”はじめてから、特に、トップ・オブ・スウィングからは、0コンマ何秒の世界である。そんな世界のことを私は語れないし、チェックできるわけがないのである。
メモをとるという効果は、かなりこれまであった。そして現在もそうしているし、これからも続けるだろう。単純でわかり切っていることであっても、意外にそんなことから崩れることが多いのだ。
