(1)
ボビー・ジョーンズの言葉ではないが「優勝した試合からは何も得るものはないが、負けた試合から、多くのことを学んだ」というのは、その一字一字があてはまることである。
その中でも、私の経験から言えば、いちばん大きな“収穫”は、1960年に行なわれた、日本アマチュア選手権のことだった。愛知カントリー東山コースで行なわれたこの大会、私は初出場だった。メダリストで予選を通過して、1回戦は7エンド5。2回戦は2エンド1で、迎えた準決勝。オカフジ氏との対戦だった。
試合は熱戦で、16番ホールを終えて、私は、オカフジ氏に1ダウンしていた。17番ホールへやって来た。確か、450〜60ヤードのパー4のホール。ティ・ショットでナイス・ショットするとセカンドは、3番アイアン。ちょっとミスしてスプーンかパッフィというホールである。2人とも、ティ・ショットは、まずまずだった。第2打は、私が先に打った。ボールは、うまく乗って、ピン手前14〜15メートルの所に止まった。
一方、オカフジ氏は、第2打でグリーンを外した。ボールの位置は、グリーン・エッジの右手前にあった。グリーンは言わゆる手前がプリン状で、奥へとなだらかな上り傾斜になっている。奥は、エッジとグリーンに段差がない。手前と奥では、高低差がおよそ1メートルぐらいある。この日のピンの位置は、左やや奥めに切ってあった。オカフジ氏のアプローチは、ピンまで3メートルのところにつけた。
《彼が、ここでこれを入れても、このホールは分ける。とにかく、3パットしないように、2パットで行くべく努力しよう》
私は、そう思っていた。
私のボールの位置からは、上りになる。そして、スライスしてフックするようなラインだ。とにかく難しい。グリーンのめも、大きく2種類になっていて、それが入り混じっていた。そのことも十分、知っていた。確かに、当時、パッティングには、かなりの難点があった。《2パットで行こう》
果たして、私は、そのパットをかなりショートしてしまった。そして、3パットを叩いたのだ。一方、オカフジ氏は、3メートルほどのパットを入れて、このホールで1ダウン。そして通算、2ダウンで決着がついたのである。
悔しかった。この悔しさは、誰にもわからないだろう。こんなに悔しかったことはなかった――。しかし、わたしにとって“学ぶべき”材料は、これでたくさんあった。それは、単に、スウィングがどうというものではなく、もっと実践的な、精神的なものであったのだった。
(2)
いつか話したかも知れないが、その当時(いや、その対オカフジ戦で)私は、全く試合の“ヤマ場”を把握していなかったのである。いちばんいい証拠に、この17番ホールのことだけしか覚えていない。流れがどう展開していたか、そんな洞察力すらなかったのである。ヤマ場というものが、どういうものか、口ではうまく表現できない。言うに言い難いことなのだけれども、自分の肌で非常に感じるものなのだ。極端に言えば、このホールでボギーしていいけれど、ここでは、この状態では、絶対にボギーにしてはいけないといった風なものだ。
例えば、マッチ・プレーでのOKパットの出し方がそうである。鉄則として、早いうちからOKパットを出すのはよくないと言われてはいるが、私は、そうでない場合も、ちょくちょくあると思う。極端に、アウトの9ホールで、短いパットを全部OKにするとする。そして自分が、2ダウンしているとする。そして、インに入る。例えば1メートル。80センチ、50センチといったパットを相手がするとき黙っている。相手は、OKしてくれると思っている「あれ?」そして、相手は、打つ。まずほどんど外すだろう。何故なら、今までこんなパットをOKしてくれていたのに、急にどうしたのだろうと思う。おかしい。これがひとつのプレッシャー。そして、9ホール。こういったショート・パットは、相手は一度も打っていない。今まで、9ホールOKしなかったら、それだけ相手に“練習”させていたことになる。次のホールに来ても、OKしない。これでイーブンになる。今度は、相手の調子が狂って、逆転できる――。確かに一例で、全体に通じる話ではないが、勝負に対する洞察力だ。つまり、こういったかけひきが、コンピューターのごとく、できるようになるというのが、ヤマ場を知ることである。もちろん、技術の上に於いても、しっかりしていなければ別であるが。
――さて、オカフジ氏との対戦で学んだのは、パットの下手さだけでなく、こんなことだったのである。負けた試合に学ぶことが多いというのは、一般的なレベルで、自分が犯したであろう最大のミスをはっきりと知ることができるからである。目に見えない1ショットのポカである。ミス・ショットして、それがわざわざ難しい部分にこぼして、1打損をする。そんな場合もそうである。では、どうして、ミスしてもやさしい部分(つまり次のショットが打ち易い部分)にショットの狙いをとらないのか。それも考える必要がある。勝った試合に得るものがないというのは、何故か。苦しい場面もあった。大トラブル・ショットからうまく脱出できた。いいパットが入った。逆に外したのもある。ピンチをうまくこの1打で切り抜けた……。
そんなことも“勝利”という2文字の前には、そして勝つことが競技において最終の目的であって、それを成し遂げたあとには、戦いの内容が、どうであっても、全部一掃されてしまうのだ。確かに非常に難しいナイス・ショットは覚えているだろう。うまくそれを切り抜けた。これは「ツイていたな」だけで、全部終わってしまうのだ。負けた試合でも、得るものがなかったという人は、論外といっていい。自分が最高で、ただツイていなかった。と思う人はいつまでやってもレベルは上がらないだろう。それよりも、もっと秘かに腕と頭を磨くのが得策と言えまいか――。
