中部銀次郎

学生界のタイトルを独占

index

(1)

大学生活にも終わりが近づいて来た。ゴルフ部に入っての生活は、実際、楽しいことが多かった。友人にも恵まれていたし、ゴルフ自体も充実していた。

4年になって、ゴルフ部の私はキャプテンを勤めていた。しかし、キャプテンとは名ばかりで、ほとんど副将とマネージャーまかせだった。逆に言えば、この2人が、それほどに秀でた手腕を発揮していたと言える。

副将は、中井隆男。マネージャーは山崎保男の両君だ。だいたい、この3人は、遊びでも行動を共にしていたし、一緒に戦ってもいた。石本喜義氏の頃から、ちょうど我々の時代まで、甲南大学としては、全盛期だったように思う。

さて、彼ら2人の副将、マネージャーとしての活躍だが、それは細部にわたって完璧に近いほどのものだった。が、3人の行動は、時として突飛な方向に進むことさえあった。いつだったか、下級生、特に3年生が、どうしても言うことを聞かない。言ってみれば精神的欠如があったのだ。ある晩、合宿のときだったろうか、夜中に3人でヒソヒソと“打ち合わせ”をはじめた。結論として、徹底的に精神を鍛えなおそうということになったのである。

それには“座禅”でも組ませるか。ということになって、さっそく比叡山に行ったのである。今から思えば、座禅を1回組んだから何かが変わったかと聞かれれば、その効果は望めない。ただ、ゴルフを離れて、自分を見直す時間は、少なくとも与えられたのではないかと思っている。

――こんな出来事が、あった。

私は、大学生活が終わりに近づいて、学生のゴルフ競技は、全部といっていいほどそのタイトルを獲っていた。ただ、たったひとつだけとれないでいた大会があった。そのひとつを残して、全部タイトルは、もっていたのである。チャンスはあと1回しかないのである。私は、どうしても、そのタイトルが欲しかった。

試合は、京都ゴルフクラブ東コースで行なわれる成宮杯争奪関西学生ゴルフ選手権だった。この試合に限って、キャディはなく、セルフだった。それに、クラブ本数の制限もあった。最大限8本が限度なのである。6015ヤード、パー68で、1、2次予選を通過した選手にシード選手を加えて、計43人が参加した。その頃、学生がキャディをつけてプレーするとは……けしからんといった風潮があってセルフ・バッグということになったのだろう。

これに勝つと、学生界のタイトルは、完全に独占することになる。もちろんプレッシャーは、かなりあった。

(2)

ちょうど、その前の晩のことだった。私たち甲南ゴルフ部員は、京都の旅館に泊まっていた。私が床についたのは、ちょうど11時頃だったろうか。いわゆる雑魚寝だった。私は、眠りについて全く気がつかなかったのだが……12時過ぎに後輩のひとりで、よく私のキャディをつとめる学生が、ちょっとした自動車事故を起こしてしまったのである。そこで活躍したのが、副将の中井と、マネージャーの山崎だった。まず、ひとつの命令が全員に出た。私を除いて――。

「いいか。このことは中部に絶対、言うな!」

誰もが、明日、私が学生界のタイトル独占をかけているということを、十分知っているのだ。そして、私が、緊張を隠しながら眠っているということも……。事故のほうは、大事にはならず、やはり2人が手ぎわよく処理していた。私は、大変有難かった。

ところが、これにはちょっとした“おち”がつく。私が眠っていると、部屋の中が何となく騒がしくなって目がさめた。

「どうしたんだ」

「実は……」

ということで、結局は事故のことを知ったのだが、みんなが起きてザワザワしていたのは、何も事故のためじゃなかったらしい。あとで聞いたことなのだが、私が、寝ていてかなり“歯ぎしり”をしていたらしい。それがうるさくて眠れなかったという。

――翌日、試合は2ラウンドで行なわれた。午前の18ホールで、首位に立ったのは、久野勝彦氏だった。私は4ストローク差で2位につけていた。

午後に入って、私の調子はあがってきた。18ホール中にグリーンをはずしたのは、3番ホールの1ヶ所だけだった。アウト32、イン34の2アンダー(4バーディ、2ボギー)でホール・アウトして、通算142ストロークで、2位に2ストローク差をつけて優勝したのだった。

この年、甲南大学は、米沢純也、森河伸治、中井隆男、野村淳、川淵長英、山ア保男らのベスト・メンバー揃いで、数々の試合で活躍した。中でも、信夫杯争奪大学対抗では、2位の慶応大学を通算で18ストロークの差をつけて圧勝、3連勝を果たしたのであった。

私にとっても、この年は、学生競技の全タイトルを独占するというかたちになったのである。

――遊びはどうだったか。私は、ゴルフのほかに、大学へ入ってからビリヤードに凝っていた。好調時で、突き切りで3本(150点)以上は突いていた。べつにゴルフとビリヤードの関連性などというものは、こじつけるほかはない。ただ、何時間も、あの台の周りを歩いていることが、かなり足には良かったし、緊張感もあった。

一時は、凝りに凝って、大学3年の頃だったか、大阪へ行ってビリヤードの世界選手権のタイトルをとったことのある小方公也氏を見に行ったこともあった。

その巧みさは、もの凄い。もちろんどう凄いかは、口では言えない。百聞は一見にしかず――とよく言われるが、まさに一見の価値は、大いにあったのである。ここでもやはり、道を極めた人の素晴らしさを見たような気がする。私は、小方氏のプレーを2回しか見なかったが、今でも頭の中にその光景は映っている。

大学の4年間が過ぎ去ろうとしていたゴルフに明け暮れていた学生生活といっても良かった。そして、数々の友人たちと、大いに遊んだりもしていたのである。

今でも、中井や山アたちと酒をくみかわしている