(1)
長い年月をかけて、私は“ゴルフ”という果てしのないスポーツの極限を追い求め続けて来た。
その間に、ゴルフを通して人間を見ることもできたし、全くゴルフに関係のない人々から、ゴルフの何かを学ぶこともできたのである。それが、私を、私自身を成長させてくれたとも言える。
――1962年に初めて日本アマチュア選手権のタイトルをとって、昨年は、取れずに終わった。その理由は、以前に語った通りである。意欲と実際のアローアンスもわかってもらえたと思う。精神的に何を求め、何に挑んで、そして、どうあるべきかも、多少なりとも理解して頂けたと思う。ただ、何度も繰り返し言うようではあるが、究極的に一体何を思いどうするかと言う問題になったとき、残念ながら、私の口からでは言い尽せないものとなってしまうことが、実に残念である。
「勝とう」という意識。この意識の中にある不可解な精神的動揺。今もって、それが何であるか、説明し尽せない。よく言われる言葉だが「勝つと思うな。思えば負ける」という歌の一片の文句は、言葉じりだけでなく、実に言い得て妙であり、まさにその通りでもある。
――私は、1963年の日本アマチュア選手権に敗れて「あー、こんなものか」と思った。こんなもの……とは、今まで言ったように「勝つ」という自分自身の優勝宣言をして、勝てるものではない。ということが、判明したということなのだ。それから先の私の、試合に挑む心構えはどうだったか――。ある意味では、大きく変化して行ったのである。もう二度と自分の中で「優勝宣言」などしまいと思ったのだった。だがしかし、当然のこと、勝ちたいという意欲はあった。
確かに「勝ち」に向かって、努力し、プレーを選んで行くのだ。しかし、実際ショットするとき、ホールを攻めるとき、8ホール、何も考えずに自分だけを考えて、ホールと戦って行くしかないのである――。
これらのことを、自分自身、身をもって体験できたことは、私がゴルフの技術を、より磨くまでもなく、それ以上に有意義なものとして、私のゴルフをより充実化させて行ったのだった。
この1件以来、私はまた、数々のトーナメントに勝ちはじめたのである。勝ち方としては、単に何となく勝ったというものはなかった。やはり、悩みに悩んで勝ちを自分のものにしたものが多かったのである。
しかし、おそらく今までに優勝できた試合で、これだと学ぶべくものは、ほとんどなかった。2位になり、3位になり、優勝を逸した試合で、次に必要となる問題点が、次から次へと出てくるのだった。私は、それをひとつ残らず解消すべく努力を重ねて行ったのである。
(2)
年が明けて、1964年になった。大学生活もあと1年で終わろうとしていたのである。早いものだ。私の大学生活は、やはり、ほとんどゴルフに明け、ゴルフに暮れたと言っていい。ただ、勉強することも、遊ぶことも全くしなかったというわけではない。勉強のほうは、さほどやったと言う自信はないが、ゴルフと遊びのほうは、満足?のいくものだった。
一方で、私がプロになるのかという問題が出はじめたのも、この頃からである。あとで触れるが、実際、プロ転向ということに関しては、悩んだ。しかし、その前に、もう一度、日本アマチュア選手権のタイトルを取りたいという執念は強かった。冬は、トレーニングに励んだ。寒い冬空の中を、白い息をはきながら、私は走った。手をまっ赤にして、クラブを振った。――何のために、何を求めて――こんな自問自答も、たびたびあった。いや、その連続であったと言っていい。だが、そのたびに、私は、1960年の世界アマチュア選手権での出来事を思い出すのだった。確かに、私は、アマチュアとして、数々のタイトルを手中におさめていた。数え切れないものだった。しかし、到底辿り着くことのできない、ゴールが、私にはあった。それが1960年の話である。ボビー・ジョーンズという偉大なゴルファーに出逢い、ジャック・ニクラウスというとてつもない人間のプレーを、まのあたりに見たことだったのである。彼らの存在がある限り、私にとってのゴールというものは、おそらくそのゴールのテープを切るまでには至らないものだろう。だが、その不可能なゴールがあったからこそ、私は、練習を続けてこれたし、勝つことができたのかも知れない。王貞治選手が「2日練習しないと、もう打てる気がしない」というのは、実感としてよくわかるのである。偉大になるほど、求めるほどに、打てるはずの自分に不安を感じて来るのだ。
今、この一球が正確に思うようにボールが飛んで行った。では、次の1球は? これも正確に飛んだとしよう。では、次の1球は? 次の1球が不安なのである。ひょっとしたら、いや、絶対に飛んでくれない……。つまり、逆に絶対、同じように飛んで行くことすら不安になって来る。
――日本アマチュア選手権がやって来た。私は、数々の思いを頭の中に走らせながら、愛知カントリークラブに向かった。いろいろな人が、いろいろな思いを走らせて、試合場へとやって来るのだった。そして、誰もが、たったひとりしか獲れない“優勝”のタイトルへ向かって、戦うのである。勝負は容赦なく順位を決めて行く。
この年、私は、予選の2ラウンドでメダリストになれなかった。そして、第1回戦は佐藤健氏との対戦だった。私の中には何もなかった。昨年のように“優勝宣言”を自分の中ですることもしなかったのである。自分の持ち得る力を、最大限に発揮する。まずは、それしか考えなかった。いつになく、私の気持ちは落ち着きはらっていた。着々とコマは進んで行った。1回戦では、3エンド2で私が勝った。そして2回戦へと向かった。対戦相手は久野勝彦氏だった。2回戦も私が、5エンド4で勝ったのである。
試合は、だんだん終わりに近づこうとしていた。やはり夜になると眠れない。ベッドの中で、何ラウンドもしてしまうことは、変わりはなかったのである。
