中部銀次郎

意識の中にある“無”

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(1)

稲尾和久氏と私、そして担当記者は、車でワンちゃん(巨人軍王貞治選手)の待っている六本木へ向かった。そこにはほかの仲間たちもいた。

記者が、さっそくワンちゃんに、質問を始めていた。私は、王選手に会うのはこれで2回目である。1回目は確か、以前福岡の空港で会ったことがある。飛行機の中だったか、王選手はわざわざ席を立ってあいさつをしてくれた。印象深い想い出である。

――王さんがバッター・ボックスに立つとき、ホームランを打とうと思って立っているんですか。

「いや、違う。打とうと思って打てるわけでもないしね。強いて言えばヒットでもいいから塁に出たいとは思っても、ボックスに入ったら何も考えない」

――それでどうして716本も打てるんですか。

「偶然それだけ打てたんですよ。ただ、過去に、日本で700号打った人がいなかった。世界でも700号以上は2人しかいない。だから記録として大きく残ってくるわけだし、ひょっとしたらもっと今までに私は打てたかも知れない。打とうと思ってポンポン打てるのなら…

記録というのは過去のものなんですよ。だからつねにその“場”に立たされたときは、過去を清算してボックスにいるわけです」

――王さんが、川崎球場で700号を打ったとき、ダイヤモンドを1週しているとき、何となく寂しそうな感じだったように見えたんですが……。

「……そうですか。いや、ほんとうのことを言いますとね。照れくさかったんですよ。699号からちょうど6試合目なんですが、マスコミは毎日、あと1本なんて書くでしょう。普通なら6試合ぐらいホームラン打てないことがあるんですよ。でも今回は特別になっちゃったような感じでね。

ホームラン打って、ダイヤモンドを1週するというのは照れくさいもんですよ。最初の頃は気分が良かったんですけど……だって、みんな静止しているでしょ、その中を回るなんてね……」

――では、バッター・ボックスに立ったとき、一体何を考えているんですか。

「強いて言うなら“無”でしょうね。邪念が入ったら打てない。そして、たまたま、そう、偶然、ホームランになっちゃうわけですよ。ゴルフだって、バーディを取ろうと言って、取れるもんじゃないでしょう。打つとき、それだけ(打つ)しか考えていないはずですよ。

努力、精進というのは、思うに、そのたまたま出るホームランのためではなく、どんな状況に置かれても“無”になってボールをバットにあてるということができるようにすることではないですかね。そのために技を磨き、精神を鍛えるんじゃないですかね」

――王さんは、頂点に立った。では次は何を考えてプレーするんですか。

「もっと自分を磨きたいからですよ。まだまだホームランだって出ると思うんです。上は切りがないですよ。それが僕の人生ですからね。

よく勘違いしている人が多いことのひとつに、金を稼ぎたいからやるという考えなんです。でも、自分の技を磨いて行けば、努力すれば、お金は常に後ろからついて来ると思うんです。我々プロ・スポーツは、それで評価してくれるもんでしょう。

自分で決めて、だからいくら金をくれ、ではいけない。黙っていても、他人が評価して、イヤでもお金はついて来るもんなんだと思う」

(2)

王選手は、話を続ける。

「技を磨くというのは、確かに並大抵のことではないと思います。ちょっと自分の調子がいいと、それが実力だと思ってしまったりする人がいますが、わかってないんですね。逆に調子が悪くなると、すぐに“見てください”と来る。それはいいんですが、見てくれという言葉が、漠然としてるんですよ。自分で、ここまで考えて、こう努力したけれど、どうしてもこの部分がわからないといったものがない。そこまで努力して研究してダメだったら聞くという人が少なくなった。どうしてもこの部分がわからないという人なら、たったひとつのポイントを言えば、すぐに理解できる。そして直る」

――記者は、ふたりの、稲尾さんと王さんの話を聞いて「みんな同じなんですね」と言った。

「同じですよ。少なくともスポーツをやって、頂点を極めた人はね」

と、王さん。

私には、どんな答えが飛び出すか、予想していた通りだったのである。私が、あえて、この2人の名手に“立証”してもらいたかったのは、2人が十分なほどの経験者で、私以外の第三者で、しかもスポーツマンだったからである。

結論は出た。

勝つ、或いはホームランを打つと宣言して勝てる、打てるものではないということだ。もう一度、繰り返すが、誰もが勝ちたいと思って試合に挑み、ホームランを打ちたいと思ってバッター・ボックスに立つのである。しかし、次の瞬間から“無”なのである。勝ちたい、打ちたいと思いながら、しかも無の中にあるのだ。

この問題について、私は、もうそれ以上どう表現することもできない。それ以上言い表わす言葉がみつからないのである。

ただ、私が言えることは、私の経験を通して、違った方向から見つけ出すことはできると思う。今後、その問題について折につれて触れて行きたいと思うが、少なくとも、試合に勝てばいい、強ければいい。或いは、技術を磨くのと同時に、こういった部分が、非常に重要なポイントになってくることは、確かである。

そして、その重要なポイントを追及しないで、もっとほかの部分ばかり追っている人が、非常に多いということもつけ加えておきたい。

それが、私の言いたいゴルフィングであり、ゴルフを通して何かを知ることのできる部分ではないかと思う。

私にとっても、稲尾さんと王さんに知りあえたということは大変嬉しかったことである。