中部銀次郎

ディフェンディング・チャンピオン

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1962年。私が始めて日本アマチュア選手権をとって、ちょうど1年がたとうとしていた。

もうすぐ、私は、とんでもない状況に立たされることを察知していたのである。ディフェンディング・チャンピオンとしての中部銀次郎の役柄を演じざるをえない場面が、そこには待っていた。

昨年、私がチャンピオンの座についたということが、誰が見ても、そして自分自身でも、優勝が全く“フロック”でなかったと実証するには、絶対に、この年(1963年)のこの日本アマに優勝しなければならない――そう信じていたし勝とうということを十分、意識して試合に臨むために、努力を重ねていたのであった。果たして、狙った試合で、しかも、優勝以外にないという確固たるある種の頑固なまでの執着心を持って、試合に臨んだら、その結果はどうなるだろう。

これほど苦しく、厳しく、不可能に近い条件はないであろう。逆に、もし「この試合は、絶対に勝つ」と試合前に宣言して、それを成し遂げられる人間は、果たしているであろうか。私は、いないと思う。これは、紛れもなく、その人の本心から発した言葉であるとして、それを大胆にもやってのけられる人間が、いるだろうか。否。その難しさは、同じ地点に10発10中ボールを落とすよりも、何倍もの難しさである。今でこそ、私はその難しさについて、こうして不可能の壁を語ることができるが、いや、そのとき、もしそれがわかっていても、優勝を狙って、勝つこと以外にないと信じて、戦ったかも知れない。いや、ひょっとしたら、そんな大それた考えは、到底心の中に入れておかなかっただろう。

この年、私は、関西アマチュア選手権、関西学生、全日本学生のタイトルをとっていた。そして、誰もが、日本アマに対しても、私の優勝ということを、下馬評にあげていたに違いない。

そして、当然、私も優勝を狙っていた。勝ちたい。勝ってみせる。そう思っていたのである。だが、試合が近づくにつれて、私は、言い知れぬ不安にかり立てられたのであった。何日も、眠れない夜が続いた。そして、ベッドに入って、目をつむると、ボールが浮かんで来る。ひと晩に一体、何ホールズのラウンドをしたことだろうか。何ホールズのラウンドをしても、それは終わることがなかった。非情にも、時間は正確に刻まれる。だんだんその日がやって来るのである。この場から、逃げ出したい気持にもなった。

何故?

それは、簡単である。いったい、自分が、自分の持ちうる力を、どれだけその試合で発揮できるかという不安である。次に、どんな相手が、どういう風に飛び出してくるかという不安。それも、相手の手の内を十分知り尽くした上で、しかもその相手が、現在、どれだけの実力を発揮して来るかということだけなら、ある程度、読めるし、それに対する策も練ることができる。が、それが、自分が全く予期していない、とんでもない人間がいつ飛び出して来るかという不安がある。

(2)

まだある。自分自身の調子を、たとえベストに持って行っても、計り知れないものがある。精神面だ。私は、勝たなくてはいけない。これが、最低目標である。しかし、もし、誰か知らない人間が、ゴー・フォー・ブローク、あたって砕けろ的な感覚でやって来て、そのために好スコアで来てしまったら……。

決勝に入って、マッチ・プレーになって来て、自分の範ちゅうにない攻め方でグングン押して来られたら……。私には大きなハンディキャップがある。勝たなければならないという。自分と同じようなゴルフの考え方をしている相手なら、読める。しかし、全く正反対のものだったら、これはもういかんともし難いものになって来るのだ。

果たして、私は、すでに試合前から、初日の1番ティ・グラウンドに立ったときから、私は負けているといっても過言ではないのである。それだけ白紙でいられる人間とのハンディキャップが余りにもつき過ぎているし、それほど「勝つ」と宣言した人間にかかる重圧、プレッシャーが、いかに大きなものかということが言えるからだ。

確かにショットは、ほぼ狙った通り正確なものが打てる。身体のコンディションもいいとしよう。しかし、勝つための好材料とはなっても、これらのことが、決して、決定打にはなりえないということを私は、つけ加えたい。こうなったら、たった1回の自分のミス・ショットが出ても、逆に簡単に崩れ落ちてしまうし、やはり、これらのことは、単に自己満足の域を脱し得ないものだからである。

これが、ショットの内容が良く、言わゆるうまいゴルフをしても勝てるゴルフとイコールにはなり得ない理由なのである。

――この年、日本アマチュア選手権は、千葉県の勝之台カントリークラブで行なわれた。7070ヤード、パー72。113人が出場したのである。

初日。私は、43、39、38、38で158ストロークで、メダリストの田中誠氏に6ストローク遅れて決勝進出を果たしたのであった。この日は、あいにくの雨で風も冷たく、コンディションとしては全く良くなかった。雨で1日延期されての初日である。やはり、私は眠れなかった。そして、案の定、午前中のラウンドは、最悪のスタートだった。知らずのうちに、いつの間にか自分のゴルフでなくなっていたのである。

そして翌日、決勝の第1回戦と2回戦が行なわれたのである。第1回戦の対戦相手は、H・チャック氏であった。私は4エンド3で勝ったものの、次を考えたら全く自信がなかったのである。いや自信があったかも知れない。それ以上に、私の上に大きくプレッシャーがかかっているのだ。自信を、平気でこなごなに砕いてしまうようなプレッシャーが……。

第2回戦は、田中誠氏との対戦であった。私は、周囲の予想に反して、田中氏に、3エンド2で敗れ去ってしまったのである。まだまだ精神修養が足りないとマスコミに書かれたが、確かにその通りなのではあるが、私の考えているものとのくい違いはあった。