(1)
これが優勝なのか。何日か経て実感らしいものは湧いて来たが、何とも空恐しい気持ちだった。勝つということが、全く違う種類のものと感じられた。
今までの戦いとは完全に違う。優勝争いをして文字通り勝つことが、例えばベスト10入りした経験よりも何十倍、いや全く対照にならないと言ってもいいほどのものがある。それこそ、勝ついうことの難さであろう。余りにもその苦しさばかり多過ぎて、喜びが表現できなかったのかも知れない。
優勝を目前にした1ショット、1ショットが、大変な孤独感に襲われながらのものになって来るのだ。1ショットごとの孤独感――何もかもが、自分にとって悪い条件になって来る。いや、とにかく悪い条件ばかりが目について来るのだ。ボールの前に立って、グリーンを見つめる。普段なら、その状況を即座に的確に判断して、どういう球筋のボールを、何番のクラブで打って……と、決めてアドレスに入る。が、こう打って行ったら、もし、こうなったら、あの右のバンカーが、この風が……もし、こういう悪い結果が出てしまったら。考えあぐんでしまうのだ。
即座に判断して、アドレスに入ることすら恐くなって来る。自分で、自分が打って行くショットでありながら、いったいどういう結果がでるか、全く想定できなくなって来るのだ。恐い。打てない。決断の“時”が迫って来ても、決断できない。こんなことは、いつもにはない。優勝というものを目前にして、自分が一種のパニック状態に置かれてしまうのである。
だからこそ、信じられないミスが突然出てくるのだ。そして、その難しさは、いったい何と言ったらいいのだろう。打つという気合いだけだろうか。
よく“経験”という言葉が口にされる。だが、優勝争いして勝つという経験こそ苦しいものはない。経験の回数は、ただのんべんだらりのゴルフではなく、優勝争いに加わった回数(経験)こそ、大きく飛躍させるものであり、重要なものなのだ。何故なら、ショットひとつをとっても、それだけ“貴重なショット”を体験して来たのだから……。
何となく勝ってしまったという人は、長続きしない。逆に、試合前から「この試合には絶対勝つ」と宣言して勝つことほど難しいものはないし、宣言通りできる人は、数少ない。
勝つためには、試合の流れの中での、“山”場で、その貴重なショットが出せなければならないし、それが打てるだけの練習を積んで、技量を深めなくてはならない。それに、自分の持っている力の平均値を知り、及ばなければにげなくてはならない。いや、それだけしても、貴重なショットを打つときには、金縛りの状態に陥るのだから。
(2)
この頃から、私はショットに対する自信がついて来た。このことから、言わゆる“ポカ”と言われるイージー・ミスの回数が激減して来た。だから、いかに安全に、自分の実力を出すことができるかということも知ったし、試合に先がけてどのぐらいで回れるという“想定スコア”を出せるようになって来た。これも、かなり正確なスコアだ。
例えば、自分のコンディション(心・技・体)が悪いにもかかわらず、技量がとうてい及ばないにもかかわらず背のびした想定スコアを設定したら、スタート前にして大きなプレッシャーになって来るのは当然である。
コースを研究して、自分のコンディション、コースの距離、状況を加えて、非常にうまく行った場合と、そこにある落とし穴。そのアローアンスの平均値から想定スコアが出る。それが、他のプレーヤーと比較して劣っていたなら、どこかで努力しなければならない。
例えば、1ホールで7も叩いたら、アマチュアでは回復の可能性は、ほとんどない。すると今度は、何を考えればいいのか。
練習である。それも、自分が出す失敗に対する練習だ。そのための効果的な練習をしなければならない。また、あらゆる状況で、例えば、つま先上がりのライの状態でショットしたらフック・ボールが出る。これはわかる。では自分が打って、どういう場合に、どんなフック・ボールが出て、その曲がりはどうか。では、ストレートなボールが打てないものか。打つためにはどうしたらいいか。
自分は、ここでこんなミスが出た。何故か。そういった細かい分析を、忠実にメモしてそのための練習を重ねなければならない。
自分が出すミスショットの種類とその限界をちゃんとつかんでおくことが必要になって来るのだ。
私は、1962年の日本アマチュア選手権で、いろんな意味で大きく飛躍することができたのである。それには、初めての大きなタイトルが、すんなりと自分のものにならなかったことが、かえって功を奏したと言える。何回となくメダリストをとって決勝にこぎついても、途中で挫折してしまった。この間、違った苦しみを味わい、ミスを再検討して、その失敗に対する練習を重ねたことが、こんなに大きく帰って来るものとは……。
その意味でも、この年の日本アマは、忘れられないものである。
しかし、私は優勝しても全く安観とはしていなかった。私にとって「あの優勝はフロックだった」と言われるのを、自分自身嫌っていたからである。
フロックだと言われないためにも、よりいっそう努力をしたのだった。私には勝っても、まだ私自身の中に問題点を残していたのだ。勝ってしまえば、何もかもいいという考え方は、全く私の中から捨てていたのである。
この年の世界アマチュア選手権は、日本(伊豆・川奈)で行なわれた。私は、代表に選ばれたが成績は良くなかった。
――その年の暮。私はアルバムを整理していた。そのときに、こんな文句を書いたのを今でもよく覚えている。
常に自分の持っている力を十分発揮しよう。私は、もっともっと多くの試合に勝ちたい。自分のゴルフに信念をもってプレーしよう。そして、自分を見つめよう。試合は、結果でしかない。結果が全てを表わすなら、最高の結果を残すしかないのだ。
――1962年。20歳だった。
