(1)
広瀬義兼氏と対戦する前夜。私は、この日の自分のゴルフを考えてみた。石本氏との1回戦は、新聞に書かれたように必ずしも“楽勝”ではなかった。
ただ、試合運びが、ある程度予想通りに運んだということはあった。石本氏と対戦する前に、私は、こう考えていたのである。広野CCは、難しいコースである。安易に打って行けるホールは、ただのひとつもないと言っても、過言ではない。各ショットを、ベストな組み立て方をして行かない限り、スコアはまとまらない。グリーンを外した場合でも、次の寄せが攻めにくい場所と攻め易い場所とあって、絶対に攻めにくい場所には落としてはいけないのである。そういったポジションを選び抜いて各ショットを攻めて行かなければならないのだ。
私は《1番ホールで“4”を取る方法》を考えた。そして、絶対に“4”で1番ホールを上がらなくてはいけないと思い込んでいたのである。ここで4をとって互いにイーブンでスタートしてもいい。ひょっとしたら1アップになる。4以外のスコア、5でお互いに分けで2番ホールへと進んでも、私は負ける。ここで、負けてはいけない。勝たなくてはいけない――。
何故、私が1番ホールでの“4”をとることにこれほど執着していたのか。それには、ちゃんとした理由があった。1番ホール。500ヤード、パー5のロング・ホールは、比較的バーディを狙って行き易いホールなのである。私自身のこのコースの難易度。つまり、バーディ、或いは確実に悪くともパーで抜けられるホールをあげると、順に、1、9、8、5番ホールなのである。逆に、2、3番ホールは、全く苦手なのだ。
だから、私が、1番ホールで、まずバーディの4を狙ったのは、もしこのホールをパーの5で上がると、次からの試合の流れが全く私にとって不利になってしまうからである。つまり、5番のショート・ホールに辿りつくまでに、私自身の流れが悪い方向で進んで行く、というのを絶対に避けなければならないからである。1番ホールで4が取れずにいたら、少なくとも、そのホールから5番ホールにやって来るまでに、回復のチャンスがなく、5番ホールに辿り着いたとしても、ここを好スコアで切り抜けられなくなって来るのである。すると、私にとってチャンスである、5、8、9番ホールでのチャンスは、全く失うといってもいい展開に変わって来てしまうのだ。逆に、1番ホールを予定通り4で上がれば5、8、9番ホールは、楽な展開でバーディ・チャンスのホールに変わって来るのである。
私にとって、この1番ホールを“4”で上がることが、これほど大切だったのである。果たして私は4で上がって、石本氏に勝つことができたのだった。
(2)
この勝ちで得た自信は、この試合について回った。いよいよ準決勝だ。やはり寝つかれなかった。そして頭の中に、各ホールが浮かんで来た。いつも同じである。
広瀬氏との対戦は8度もオール・スクェアになるという戦いだった。だが、試合を決定づけ、しかも、私にとって最大のラッキーに恵まれた場面がやって来たのであった。14番ホールまで、私は1ダウンしていた。問題は、続く15番ロング・ホールだった。550ヤード、パー5。やや左ドッグ・レッグ。左は谷になっている。ティ・ショットの狙いは、やや右めである。広瀬氏は、ナイス・ショットで狙いの通りだった。私は、右のラフに入ってしまった。続く第2打で、私はミス・ショット(チョロ)をして左松の横である。グリーンまでまだ240ヤードはある。一方、広瀬氏は、第2打を終えてグリーンまであと100ヤードほどの好い位置をキープしていた。私の第3打は、グリーン手前エッジである。ここは難しい所だ。私が、ラッキーだったというのは、この第3打である。第2打のチョロが、まず谷に落ちなかったことである。そして、この第3打が打てたことである。ともかく、グリーン・エッジまで私は、ボールを運んで来た。ところが広瀬氏は、第3打をなんとグリーン奥のバンカーに打ち込んでしまったのだった。このバンカー・ショットは難しい。土手は高く、グリーン面は下っている。その日のピンは、やや奥めでピンそばに寄せるのは至難の技であった。果たして、私はここで命びろいをして、オール・スクェアに戻したのだった。
私は、結果的に2アップで広瀬氏に勝ち、決勝へと進んだのである。決勝は、富田浩安氏との対戦だった。私は、ここでも1番ホールを“4”で上がり、5アンド3で日本アマチュア選手権初優勝を果たしたのだった。
――念願の優勝を果たした私は、その中に喜びが実感として沸くのに、2、3日かかった。何と言ったらいいのだろうか。いや、何と言ったら、この気持ちを表現できるのだろうか。今になった私でも、その言葉が浮かばない。どう表現すれば本当に、そのときの気持を言い表わすことができるのだろうか。
勝つことは、難しい。そう思った。届きそうで、遠かった優勝の2文字。今、それを手にした。諸々の感情が、言葉が浮かんで来るが、すぐにまた消える。
やはり、瞬間“無”であった。何もなかった。本当に何も無いのだ。あれほど勝ちたいと思っていたのに、今、それが私の中に確かにあるのに、何もないのだ。
これが優勝なのか。実感が湧いて来たのは、周囲からだった。日が経つにつれて勝てたんだという気持ちがあった。だが“勝利”ということは、あくまでも結果的評価でしかない。勝って終わるわけだ。その瞬間から、またゼロでスタートして行く。得たものと言えば、ひとつの自信だけだろうか。だが、これが、その技術が、また明日続くとは限らない。
ボビー・ジョーンズではないが「勝った試合から学ぶことは何もない」は、全く共感するところだ。勝利というオブラートにすべてがくるまってしまう。負けはオブラートにくるまるには、余りにも鮮明で痛々しい。だからこそ、学ぶべきことが多いというのであろう。
ただ、私が、この試合に勝てたということで、勝つための手がかりは十分つかめたのは確かである。そして、今まで私がやって来た“ゴルフィング”が、有意義であったと確認したのだった。
