(1)
桟橋まで歩いて7〜8分。そこからフェリーに乗って20分。バスで40分行くとゴルフ場に着く、土曜日。学校が終わるとすぐ出かけ、日曜日は朝から出る。親父が松ヵ江GCの会員にしてくれた。
小学校6年のときである。小学校がメンバーになったということで周囲にはいろいろな反応があったらしい。でも私はそんな反応よりも、早くうまくなりたいという気持でいっぱいだった。
その頃である。近所の友だちと野球をしていて、私は友人の打ったバットの先にあたって大ケガをしたのだった。「あとほんの0.5ミリ下にあたっていたら命の保障はなかった」と後に医者に言われたのである。バットがあたったのは、両目の間、眉間であった。とんだところで命拾いしたものだった。
私は、腕白だった。とにかく負けるのが嫌いで、よく2歳上の次兄とケンカをしては母親に叱られたものだ。あるときには、次兄の幸次郎のもっている白いゴルフ・シューズが欲しくてたまらなくなって、ついには兄貴とケンカして腕をネンザさせるほどだった。
腕白で、少なくともゴルフを始めるまでは活発な子供であったと思う。独りでいるのが好きといっても、それほどの“変人”ではなく、当たり前の子供だった。ところが、私の性格が、だんだん内向的になり、次第にほとんど他人(ひと)とは口を聞かなくなったのは、何故だろうか。
ひとつには、こんな状況を子供ながらにまのあたりに見てしまったからだと思う。
ある日私は、ラウンドを終えてクラブハウスの玄関の前で、親父の車を待っていた。するとイガグリ頭でキャディ・バッグを持ってポツンと立っている私を見て、ある知らない人が「オイ、お前。ちょっと何時か見て来い!」と言ったのである。私は、キョトンとしながらも、言われるままにハウスの中にある時計を見に走って行った。そして戻って来た。時間をその人に告げているときに、親父が車で玄関までやって来た。するとどうだろう。その人は、掌をかえすようにコロっと態度を変えて、親父にペコペコ頭を下げ、揚句の果てには私にまで「坊ちゃん、坊ちゃん」を連発するのである。
私は、このことがあってから世間に対する見方が大きく変わったのである。
何ということだろう。人間は、こうもその人、そしてその人の地位や何かで変わるものだろうか。まざまざと見せつけられたのである。“人間”という不可解なものを。ちょうど小学校6年から中学というと、子供は思春期を迎える。だから余計に私の中にガーンとノック・アウト・パンチをあびせられたのだった。
そう言えば……とハッと気がついたのである。そう言えば、それまでにも似たようなことがあった。いや、はっきり覚えていない。「何かおかしいな」と子供ながらに感じていた。そんな霞のかかったことが、くっきりと輪郭をあらわしたのであった。そして、このことは何をするにも、まっ先に頭の中に飛び出して来たものだった。
人間不信に陥らざるを得なかったのである。
(2)
親父は、私が小学校の頃、日新丸の団長として南氷洋まで行っていた。聞いた話によると1週間ぐらい寝ずにいたということも、しょっちゅうあったらしい。
私の家は、いわゆる山の手にあった。母屋が9部屋ほどあり、サン・ルーム風の廊下を渡って納屋につながる。かなり広い敷地だった。私は、そこで生まれ育った。しかし、私がいくら“坊ちゃん”であったにせよ、それは、私自身には全く無関係であると思っていた。いや、そんな気は全くなかった。ところが、世間では、どうやらそう受け取ってくれなかったらしい。あくまで中部利三郎の息子としてだけだった。
すでに、私にとっての唯一の“味方”はゴルフだけになっていた。ゴルフは独りになれるし、自分と戦っていればいい。雑音を入れる必要もなかった。小学4年で36から30になり、5年で22になり、6年で20になった。だが、20になって悩みはなお更多くなり、ハンディキャップもすぐには伸びなかった。
20というと、ちょうどハーフで45を切るか切らないかという頃である。ここからの脱出に何をしたか。むろん練習は必ず週2回欠かさなかった。夏休みなどには、できるだけ多くコース通いをした。
まず、18ホールズのショットをすべてチェックすることから始めた。ラフに入った数。その球筋の状況。ダフリやトップの回数など、すべてチェックしたのである。
そして、バンカー・ショットが下手だった。その当時、まだダイナマイトがなく、9番アイアンでバンカー・ショットをしていた。9番アイアンでは意外にうまくショットができた。そしてダイナマイトをバッグの中に1本入れたことで、バンカー・ショットが下手になったのである。
今までは楽に出ていたものまで出ない。まる1日中、朝から日が暮れるまでバンカーの中に入って練習した。それでもダメである。悔しいから他人にも、兄貴たちにも教わらなかった。傷心の気持で私は家に帰って行った。ゴルフ・バッグを玄関に置いて、ふと、長男の一次郎のバッグをのぞいてみた。一次郎は大学4年だった。そしてダイナマイトを見て、ハッと気がついた。明らかに私の持っているそれと違いがあるのだ。兄貴のダイナマイトは、ソールが削ってあったのだ。
ソールを削って使うことを私は知らなかった。そこで頼んでソールを少し削ってもらった。普通のままだとどうしてもクローズになってしまう。それがソールを削ることによって、それが解消されたのである。翌日、さっそくそのダイナマイトを持ってバンカーに入った。ボールは、気持ちよく出たのである。それでもしばらくは9番アイアンを利用しての方が慣れていたが、もちろんダイナマイトのほうが、有利だった。
相変わらず親父とプレーするときは、何となくやりにくかった。調子が悪いとすぐにブスっとする私を、親父は凄く嫌っていたらしい。それでも、ハンディ20までは、とにかく無我夢中だった。問題はそれからである。
