(1)
納屋から母屋へ渡る幅広い廊下は、ちょうど今で言うサン・ルームのようにガラス張りの屋根でできていた。
小学校3年の頃だったろうか、私はよく屋根に登っては、どうにかしてこのガラスの上を歩いて向こうの母屋まで渡れないものだろうかと思案していたのである。ガラス1枚が1メートル幅ぐらいのものだったと気憶している。その上を、忍者のように渡り歩いたら。そんなバカげたことを子供心に真剣に考えたのである。ある日、一大決心をして“よし渡ってみよう”と思って実行したのである。第一歩をガラスにさし出して、その足に体重をかける。果たしてガラスは、こなごなに砕けて高いガラス屋根から、廊下にアッという間に落ちてしまったのであった。
ガキ大将ではなかったが、かなりわんぱくであったことは確かである。野球が好きで、いつも野球をしているか、例の屋根に登ったりして遊んでいた。
たいてい独りだった。
家は、山口県下関市上田中町にあった。この辺は、ちょっとした丘陵地になる。名池山と呼ばれていた。そこの家は、かなり大きかった。3年生まで大江小学校に通っていた。ほとんど生徒はイガグリ頭で、私もイガグリ坊主だった。家に帰ると野球をするほかは、余り友達づきあいは活発なほうでない。というのも、突飛なことをして家人に叱られるほかは、持病が気になって何もできなかったのである。
週に、2、3回。つまり1日置きか2日置きぐらいに、必ずといっていいほど胃ケイレンのように激しい痛みに悩まされていたのである。毎週、無差別な時間に医者を呼ぶことが多々あった。母親が心配して医者に相談した。
「少し歩けばいいかも知れない」
と言われたそうである。
これが、私がゴルフを始めたきっかけである。
親父・利三郎は、当時50歳ぐらいだったろうか。体格も今の私とほぼ変わらない。ただ、まっ黒に日焼けして、いかにも海の男を思わせるものはあった。親父とは普段は、ほとんど話さなかった。深い話といえば、私が成人して親父が他界する少し前に“あること”で言い合った想い出だけが深く残っている。それについては、そのうちに触れたいと思う。
で、歩けばいいだろう――と医者に言われて、ある日。
「銀。一緒について来ないか」
と親父が声をかけてくれたのである。見ると親父はゴルフバッグをかついでいた。私は運動靴をはいて、言われるままにあとを追ったのである。
車で桟橋まで行ってフェリーに乗りかえる。フェリーは門司に着いた。何処へ行くのかと思うと、そこはゴルフ場だった。そのとき、はじめて見たのである。親父が、ティ・ショットを打ち終わると、そのドライバーをキャディに渡さず私に渡した。私は、その1本のドライバーを杖がわりに持ってコースを歩いていたのだった。
(2)
兄姉は、11歳上の長男一次郎。2つ違いの次男幸次郎。そして姉。私は末っ子だった。すでに兄たちは、ゴルフを始めていた。私のゴルフに対する意識は、それまでクラブは見ていたが、単にそれだけのものだった。
ドライバーを杖がわりに18ホールズを歩かされて、コースの雰囲気とゴルフ、そして1本のクラブに何となく興味をもちはじめたのである。
年がかわって、小学校4年に進学した私は、区域転校で名池小学校になった。算数と体育がいちばん成績が悪かった。学校はそんなに好きでなかった。帰ると今までの野球と屋根登りのほかに、“ゴルフの遊び”が私のリストの中に入って来たのである。
「こんなに面白いものはあるだろうか」
親父が、私に子供用につくり直したクラブをプレゼントしてくれたのは、その頃である。ウィーク・エンドはゴルフの日々になったのである。そのクラブは、子供用といってもちゃんとドライバー、スプーン、そして3番アイアンから9番アイアンまでとパターがあった。
週2回の練習は、ほとんどコースだった。親父たちについてラウンドのお伴をしたり、たいていはコースにある練習場でボール打ちに専念していたのである。
見よう見まねでボール打ちをしていた私が、いつ頃からまがりなりにもラウンドできるようになったかは、定かではない。ただ、1年後にはハンディが36から30になり、小学校6年のときにたしか20だったことを覚えている。
その頃、親父とラウンドしていたときだった。私はもちろん飛距離からして100から130ヤードぐらいしか飛ばない。それも打つと決まって、途中から45度ほどの角度で大きく右に曲がって、いつもOBやラフの中だった。そのラフの中でどうしても打てないところだったので、ちょっと“チョンボ”をして打ち易い所にボールを蹴ったのである。とたんに親父に発見されてしまった。
「そんなことをするならゴルフを止めたほうがいい!」
めずらしく親父の怒り声を聞いた。それ以来二度と“チョンボ”をすることはなかった。
毎回の練習でどんなに苦労して考えてボールを打っても、結果は同じでスライス・ボールになってしまう。1時間半ほど自分で練習をしていた。その中で、ただの1回もまっすぐ飛ぶことがない。
どうしたら、人並みにまっすぐ飛ぶのだろうか。まっ先に、ゴルフで悩んだのが、そのことだった。ほかの人たちが、ポンポンとまっすぐ遠くへ飛ばす。それが悔しくて仕方がなかった。小学生に、誰もアドバイスはしてくれなかったし、私も、人にいろいろ言われることは嫌いだった。
まっすぐなボールを打ちたい――。誰もが、ゴルフを始めたら、おそらくまず最初にぶつかるこの悩みは、私のゴルフの中で果てしなく続き、その悩みをもっていたからこそ、研究心が高まったとも言えよう。
