| 中部 銀次郎 |
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なかべ ぎんじろう
昭和17年2月16日生まれ。甲南大学卒業。
10歳の時、虚弱体質を治すために始めたゴルフが病みつきになり、中学2年で早くもシングル入り。
父、長兄、次兄が共にシングルプレーヤーで親子4人の合計ハンディが1ケタだったことも。
昭和37年、20才の時、日本アマチュア選手権に初優勝。
昭和53年までに6度の日本アマ優勝経験を持つ。
昭和42年の西日本オープンではプロを破って優勝した。
現在大東油業且ミ長。170cm、60kg。
日本アマ6回の最多優勝記録のほか、
全日本学生、関西アマ、関東アマ、アジアアマ、日本オープンベストアマなど、
アマチュアとして取り得る全てのタイトルを持っている。
日本チームが優勝した世界アマ(1984年・香港)のノンプレーイングキャプテン
JGAナショナル強化チームのコーチ等、指導者としても活躍。 |
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虚弱な体の強化に始めたゴルフで
日本アマ6回優勝
『純』なアマチュア精神を
持ち続ける名プレーヤー
ある日、中部銀次郎さんと一緒にゴルフをすることになった。それまで何年も取材を通して知り合い、また日本アマチュア選手権にも何度か応援と取材を兼ねて観戦していたので、中部さんのゴルフは、おおむね想像出来た。往きの車中も同乗していたわけだが、ことさら口数が普段より多くも少なくもなく、僕たちのゴルフの日の朝と違って、ここからすでに平静心でいることが大切なのか、と、単純な驚きがあったのを思い出す。かれこれ10年近く昔のことである。
スタート前に「ボールを3球だけ打ちたい」と言って、中部さんは練習場に向かった。それが3球だったか5球だったか憶えていないが、「わかった。さあ行こうか」と僕たちに声をかけて1番ティグラウンドに向かったのだった。
その日、僕と中部さんのほかに2人の友人が加わって、ラウンドは無事終了した。
そして――。クラブハウスに戻って、コーヒーをすすりながら「あー、良かった」と中部さんは、ホッと息をなでおろしたのだ。
「?……」
「実は、朝、熱があったんだよ。だからひょっとしたら18ホール持たないんじゃないかと心配していたんだ。18ホール回れて良かったね」
「そうだったんですか」……それならそうと言ってくれればいいのに、と僕は顔で表現したのだ。
「それで、朝の練習、3球だけ打ちたいといったのは何か理由があったんですか」
「うん。自分の(熱があってフラつく)体調で、どんなボールが出るのかチェックしておきたいと思ってね」
僕なら……と自問自答した。きっと朝出迎えて顔を見るなり、今日は熱があって体調が悪くて、なおかつ久しぶりのゴルフだし、雨模様で、昨夜は睡眠不足だし……と、何から何まで口実をつけるに違いないと思った。
「そういう口実をつけて、自分にエクスキューズをしている間は、上達しないと思う。何故なら、逆にベストコンディション、何から何まで条件がそろったとして、いったいいくつで回れるのか――自分の実力がすべて出しきれるのか、という疑問があるわけでしょう。それに、すべての条件が整うことは、まずありえない。あったとしても年間に何回あるかどうかと考えたら、むしろ、どんな状態でもこれ以上悪くならないという技量や精神力を身につけたほうがいいと思う」
言われてみれば、なるほどである。
「本当の強さというのは、最悪の状態の下でも、このスコア以上は叩かないというスコア基準が、ハンディに近いほどいい」
という考え方である。
……中部銀次郎さんは、小学校低学年時代まで病弱だった。医者の少し外に出て散歩するといいかもしれないというアドバイスがきっかけでゴルフと出会った。
最初のゴルフは、散歩だった。父(故・利三郎)に連れられてコースを歩く。次に、クラブ1本持たされた。ゴルフが面白いと思ったのは、その時である。
小学校4年生の頃だった。その1年後にはハンディ36から30。そして小学校6年で20までになったという。
「親父には、ほとんどゴルフについて教わることはなかったと思うけれど、一度だけ叱られたことがあります。子供の頃で力もないから大きく右に曲がるボールが多かったわけです。私が打ったボールが一度ラフに入って、それも深くてどうしても打てない状態だったんです。で、ちょっとチョンボをして打ちやすい所にボールを蹴ったんです。それを親父にみられて"そんなことするのなら、ゴルフを止めなさい"――」
中部さんのゴルフに対する姿勢、研究心、探求心、技量を磨く努力は、それ以後、現在に至るまで全く変っていない。
僕が初めて中部さんと出会ったのは、1973年だった。六本木にあるステーキハウスの中に洒落たバーカウンターがあって、そこにポツンと中部さんが待っていた。
一時、現役引退といわれた中部さんが再び選手権に出るというので取材したと記憶している。その問いかけに、「いやアマチュアには引退という言葉がないんですよ。試合に出ないことと引退は違いますし、アマチュアゴルファーは、生涯アマチュアゴルファーなわけでしょう」
2時間ほど話を聞いて、僕は、アマチュアゴルファーとして生きている中部さんの姿勢に興味を持った。
したがって中部さんが最も活躍した時代は知らない。聞けば数々の伝説が残っているそうな。ある時は、プロゴルファーが中部さんの試合ぶりを隠れて見学に行ったという話。無敵といわれ、自由自在にショットを操る技術。
――プロゴルファーを目指したことはなかったんですか?
「全くなかったわけではありません。2度ほど迷ったことはあります。でも僕は体力的に自信がありませんでしたからね。もともと病弱な体のためのゴルフが出発点でしたから。ほかにも理由はありますが、それも大きいです」
――アマチュアリズムというのが好きだったということもあるんですか?
「かも知れません。ゴルフ、それをとりまく環境。つまりゴルフィングと僕はよく言うんですが、技術のほかに、ゴルフでは人間性であるとか自分自身を磨いていくことでゴルフは変ります。発想を変えることでもゴルフは変ります。ハーフで50がなかなか切れないという人でも、技術はそのままで発想や姿勢、考え方を変えるだけで50を切ることが出来ると思う。つまり技術だけでなく、技量、人格、精神などを磨き、それを追求することでゴルフの面白さってかなり広がりますし、深いものになる。アマチュアというのは、そういう部分を純粋に追求していく姿勢をいうのだと思うんですね」
今回の取材で、僕は久しぶりに中部さんと一緒に回った。1年かそれ以上経っていたのだと思う。それまで僕が中部さんから教わった技術的なことといえば、アドレスだけだった。正しく構えることだけだったのだ。
――中部さんは、よくアドレスが正しければスイングの80パーセントは出来上がるといいますね。
「単純に考えて、正しく構えられていなければ正しいスイングは生まれないと思うからです。スタンスを間違えれば、これはボタンのかけ違いと同じです。
それに、スイング中は、どんなにゆっくり振ってもわずか2秒でしょう。それを細分化して語るというのは、コンマ秒以下の話になります。そのコンマ秒以下について、じっくりと注意、矯正していくというのは不可能に近いと思います。
アドレスなら、静止している状態ですから自分がいつでも容易にチェック出来るわけだし、その構えが正しければナイスショットの出る確立は最も高いわけです」
――ほかにスイングで注意することは?
「世界共通、どんなレッスン書でも必ずあることは"頭を動かさない""右腰が流れない""右ヒザを流さない"これだと思います。これがしっかり守られていれば、ほとんどの問題点は解消されるはずです」
場所は、東京ゴルフ倶楽部だった。
関西の広野ゴルフ倶楽部でプレーを続けていた60年代後半から70年代前半にかけての中部さんは知らないが、その後東京に移ってこのクラブでプレーする中部さんを知っている。少し雨模様だったけれど、中部さんは相変らず平静心で淡々としたプレーを見せていた。
「ほんとの意味で、ピュアなアマチュアゴルファー、アマチュア精神を持ったゴルファーが少なくなりましたね」
というのが、ここ10年ぐらいの口ぐせであった。日本アマチュア界の至宝といわれ、日本アマチュア選手権を6回もとってしまった偉大なアマチュアゴルファーは、どんなゴルファーと回っても、同じ姿勢でプレーする。一緒に回っていて、ごく自然で、心地よいそよ風のようにゴルフの楽しさが伝わってくる。「お願いがあるんだけど」と中部さんは言った。何だと思ったら、
「出来れば、OKパットなし、6インチプレースなしというルールでゴルフをして欲しいって、出来るだけ多くのゴルファーに伝えて欲しいですね」
これは自分の技術向上だけでなく、おつきあいゴルフで氾濫するいいかげんなOKパットがゴルフの楽しさを半減させているからだということへの警鐘でもあるのだろう。
久しぶりの中部さんとのゴルフ。僕にとって『ゴルフの心』を教えてくれた師でもある。つけ加えれば、僕は不肖の弟子で、中部さんにえらく迷惑をかけているのである。その師匠が「長足の進歩」と僕に声をかけてくれただけで、いま僕は有頂天なのだ。
きっと、そういう姿を見つけられたら「お前は単純で幸せな男だ」といわれそうである。
©三田村昌鳳 |
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